「ガーナの印象は?」と日本人に聞くと、「チョコレートの国!」とお決まりのように返ってくる。その象徴がロッテのガーナチョコレートだ。日本は、チョコレートの原料であるカカオの8割(2012年)をガーナから輸入している。国際ココア機関によると、ガーナのカカオ生産量は、隣国のコードジボワールに次ぐ世界2位(11~12年)。日本だけでなく世界中がガーナ産のカカオを消費し、いわばガーナの存在抜きでバレンタインデーは成り立たないのが実情となっている。
とはいえ、バレンタインデーは欧米の文化。遠く離れた西アフリカのガーナに住む人たちは、いったいどんなふうに2月14日を過ごすのだろうか。少しのぞいてみよう。
■やっぱり“恋人の日”、予算は7000円?!
ガーナでもバレンタインデーは「恋人同士のイベント」として祝う。男性が女性をデートに誘い、プレゼントを贈るのが基本。女性から男性にプレゼントするケースも珍しくない。
ガーナに住む筆者の友人男女8人(全員がガーナ大学に在学中、または卒業生)にインタビューしたところ、恋人がいる4人は全員「今年のバレンタインデーの夜はパートナーと過ごす」「プレゼントを贈る」と答えた。プレゼント代や映画代、レストラン代などを含めた予算は50セディ(約1700円)~200セディ(約7000円)。一方で恋人のいない男女4人は全員「友だち、または仲の良い異性と出かける」。ひとりで過ごすバレンタインデーが寂しいのは、日本もガーナも同じなのだろう。
■コンドーム売り切れ! 1カ月後の中絶も
ガーナでも愛を育むバレンタインデー。しかし、ガーナ社会に思わぬ弊害も引き起こしているようだ。バレンタインデーは異性と仲良く出かけるのが醍醐味だが、それが性の乱れにつながっているという。多くの若い男女がその日に性行為に及ぶようになり、「バレンタインデーの1カ月後に中絶する女性が急増」「6カ月後にHIV・エイズが増加」といった深刻なニュースも流れるようになった。コンドームの売り切れ騒動もガーナ全土で発生したぐらいだ。
こうした状況を改善しようとガーナ観光庁は06年、バレンタインデーを“恋人の日”ではなく「チョコレートの日」に制定した。外国製品に押されるメイド・イン・ガーナのチョコレートを宣伝する意図もあったようだ。
ガーナで生産されるチョコレートで有名なのは「ゴールデン・ツリー」というブランド。インタビューに応じてくれた友人たちによると、バレンタインデーにゴールデン・ツリーのチョコレートを食べたり、贈りあったりするのが、今では当たり前の光景。ただ“チョコレート効果”で性の乱れが改善されたかどうかは疑問だが‥‥。
■チョコレート革命! 政府はタダで配れ
「メイド・イン・ガーナのチョコレートを宣伝する」という政府の思惑はある程度達成されたかもしれない。だがチョコレートを買う余裕のない庶民がいるのもまた事実だ。
12年のバレンタインデーには、ある「事件」が起きた。カカオ産業を統括するガーナ・ココ委員会(COCOBOARD)に対し、一般市民が「チョコレートをタダで配給しろ」と要求したのだ。チョコレートの日が06年に制定されて以降、激しいインフレを背景にチョコレートの値段は上がり続けている。このため庶民の口にチョコレートはなかなか入らないという事情がある。
首都アクラで商売をする女性は「ガーナはカカオを生産し、チョコレートも作っている。なのに、私たち庶民は買えない。バレンタインデーぐらい、チョコレートをかじりたい」とメディアの取材に答えた。
■流行は90年代から、庶民に定着するか
バレンタインデーが恋人の日としてガーナに入ってきたのは、いつごろからなのだろうか。ウィスコンシン大学のジョ・エレン・フェア教授の研究(04年)によると、バレンタインデーは1980年代からまずは中高生や大学生の間で広まった。それが90年代になって市民にも知られ始めたという。「経済自由化の流れの中で、国営メディアが民営化されたことがきっかけでは」と教授は分析する。
95年、当時のジェリー・ジョン・ローリングス大統領は国営メディアの民営化を決定。ラジオ局を真っ先に民営化した。たくさんのラジオ局が乱立する中で、どんなコンテンツを放送するかが問題となった。そこでラジオ局は、各種小売店やホテル、レストランのビジネスセクターと協調し、バレンタインデーの宣伝を開始。疲弊していたガーナ経済が回復傾向にあり、国民の購買力が増していたことも手伝って、バレンタインデーが新たな行事として富裕層の間に浸透。現在は「恋人同士のイベント」「ガーナ製のチョコを食べる日」として、比較的豊かな層に定着しつつある。
ガーナ固有の文化ではなく、「欧米の文化」として商業目的で広められたバレンタインデー。果たしてこれから全国民に浸透していくのか、それともリッチな人たちの特別なイベントとしてとどまるのだろうか。