女性器切除(FGM)やレイプなどで苦しむセネガルの女性を救うため、アパレルブランドを立ち上げた日本人女性がいる。宮村暢子さんだ。宮村さんはセネガルやコートジボワールからアフリカ布を取り寄せ、主に日本で服やバッグを製作、販売。売り上げの10%を、子どもや女性のエンパワーメントに力を入れるセネガルのNGOラパラーブルに寄付する。セネガルに魅せられた宮村さんを追った連載。2回に分けてお届けする。
女性の出口になるように
宮村さんが2020年に立ち上げたブランドの名前は「ゲヌ」。セネガルの現地語ウォロフ語で「出口」という意味だ。女性たちが苦しい状況を抜け出し、自立していけるように、との思いを込めた。
売り上げの10%をラパラーブルに寄付するのもその思いを実現するため。これまでの3年間で100万円以上を寄付に充てた。
ラインアップするのは服やバッグ、ポーチなど。カラフルなアフリカ布を使い、手に取った人が明るくなれるような商品を取りそろえる。
ゲヌを立ち上げるきっかけとなったのは、1冊の本だ。タイトルは「切除されて」。セネガル人女性のキャディ・コイタさんが自身の半生経験をつづったもの。FGMの辛い体験や夫からの暴行、それでも5人の子どもたちを育て、女性の地位向上を目指してラパラーブルを立ち上げるまでが描かれている。
大学受験のため浪人中だった宮村さんは2008年、「7歳のあの日、私は切除された」という帯が気になり本を手に取った。だが内容は目を背けたくなるようなものばかりだった。
小屋から泣き声・叫び声
コイタさんは7歳だったある日、「お清めの日だよ」と言われて、ある小屋へ連れて行かれた。外には少女たちが並んでおり、中からは泣き声や叫び声が聞こえてくる。
コイタさんは恐怖に震えた。だがそれに抗うすべはない。コイタさんは部屋に入れられると、周りの女性たちに手足を抑えられた。そして麻酔や消毒もないまま、FGMを受けた。その痛みはこの世のものとは思えないものだった。コイタさんは泣くことしかできなかったという。
FGMはアフリカやアジア、中東などに残る習慣で、女性が一人前になるための通過儀礼とされる。だがその痛みや大量の出血によりショック死したり、感染病にかかることもある。傷が癒えても排尿時や性交時に痛みを伴う。出産は難産となり、死に至るケースもある。
科学的な利点は一切ないといわれるFGMだが、女性はそれに「ノー」と言いづらいと宮村さんは指摘する。
「FGMの文化が残っている村では、FGMを受けていない女性は汚れたものと思われる。結婚ができないどころか、誰も近寄らない。お茶を入れても誰も飲んでくれない」
だが宮村さんは本を読んで、FGMの恐ろしさとともに別の感情も抱いた。それはコイタさんのセネガルに対する深い愛情だ。美しい文化、人懐っこくて優しい人たち。FGMという悲しい習慣があるにもかかわらず、ここまで愛せるセネガルとはどんな国なのか。宮村さんのセネガルへの関心は高まっていった。