「チベットの建築文化を守りたい」。こう話すのは、インド・ラダックの主都レーの旧市街地で、廃墟となった家を修復する建築家の平子豊さん(49歳)だ。平子さんは、若かりしころに自転車でチベットを回り、ラサの歴史的建造物が次々と壊されていくようすを目の当たりにした。平子さんの半生を3回にわけて追う。
雲南民族学院に留学
平子さんは、チベット様式の建築物を修復する団体「チベット・ヘリテイジ・ファンド」(本部は香港とドイツ)の共同代表を務める。このファンドはこれまでチベットのラサ、その東部と東北部に広がるカム、アムド地方(中国の四川省や青海省)、モンゴル、インド北東部のシッキム州などチベット建築物の残る地域で活動してきた。
2012年に拠点をラダックに移してからは旧市街地に現存する140戸の古民家の3分の1弱に当たる40戸をこれまでに修復した。
チベット・ヘリテイジ・ファンドに対する国際的な評価は高い。ラダックやモンゴル、アムドでの修復活動が評価され、チベット・ヘリテイジ・ファンドは国連教育科学文化機関(UNESCO)からアジア太平洋地域の歴史的文化遺産の修復や保全活動の最優秀賞などを受賞している。
平子さんとチベットとの出会いは27年前に遡る。
千葉県柏市の麗澤大学で中国語を学んだ平子さんは1996年春、大学の卒業と同時に雲南省昆明にある雲南民族学院(現在の雲南民族大学)に留学した。両親は就職を勧めたものの、平子さんは留学にこだわった。
「表向きの目的は中国語を学ぶため。だけど中国の僻地への旅をもくろんでいた。日本にいたとき大学の恩師、金丸良子教授の話を聞いて、中国の少数民族の暮らしに興味をもった」(平子さん)
留学した平子さんは勉強もそこそこに、雲南省を中心に旅に明け暮れた。昆明に来て半年後の1996年の夏には、雲南省の大理からチベットの聖都ラサまで1900キロメートルの道のりを自転車で走破する旅に出る。日本でいえば札幌から福岡までの距離だ。