ベナン最大の観光地のひとつで、アフリカ最大の水上集落といわれるガンビエには、ボートに一緒に乗って観光客を案内するガイドがおよそ50人いる。このひとりがテオフィル・アイボジ(Theophile Ayivodji)さんだ。30歳。コロナ禍で一時は無収入になるなど苦しい生活が続いたが、「ガンビエに観光でやってきた米国人が僕のためにウェブサイトを作ってくれた。それ以降、お客さんが増え、収入も倍増した」と幸運を喜ぶ。
第2夫人の家で育つ
テオフィルさんは、ベナンと国境を接するナイジェリア南西部のラゴス州マココで生まれた。両親はガンビエ出身。ガンビエからマココはおよそ200キロメートル離れているが、ボートで行けるという。
マココは、ガンビエと同じく水上集落だ。ラゴス・ラグーン(砂州によって外海と切り離されてできた湖)の上に家々が立ち並ぶ。ベナンからの移民も多く住む貧困地区だ。
テオフィルさんの父は漁師だった。マココは漁や魚の養殖が盛んなところで、テオフィルさんによると、ガンビエより稼げることから、父と第一夫人の一家(子どもは最終的にテオフィルさんを含む6人)でマココに移り住んだという。
父は小学校にさえ行っていないし、ほかのきょうだいはナイジェリアで教育を受けるなか、テオフィルさんは5歳のとき、父に「フランス語(ナイジェリアは英語)で勉強したいからひとりでガンビエに戻りたい」と伝えた。
「当時の幼い僕は母国語のトフェベ語しか話せなかった。フランス語も、英語もできない。だけどなぜか、フランス語の学校に通いたかった」とテオフィルさん。ガンビエでは、父の第2夫人の家で暮らし、小学校に通った。
テオフィルさんはその後、中学、高校を卒業。名門アボメカラビ大学に入学し、経済を専攻した。ところが父が2014年に他界。アルバイトを毎日しても学費が払えなくなり、2年で勉強は中断、母やきょうだいを支えるため仕事を本格的に始めた。
送金でしのいだコロナ禍
最初の数年はマルシェ(市場)で働いた。仕事は、買い物客が買った荷物を担いで運ぶこと。「重労働だった」。ただ稼ぎは1日5000~1万CFAフラン(1200~2400円)とそう悪くはなかった。
次に就いた仕事は観光客が乗るロングボートの操縦士。船尾に置いた小さなエンジンを操るだけの楽な仕事だったが、1日の稼ぎはわずか2000CFAフラン(約480円)。数年で辞めた。
2018年からは観光ガイドに。コロナ禍のさなかは客も収入もゼロ。大変だったが、「フランス、米国、中国など国外に住むベナン人の知り合いが50ユーロ(約8000円)、50ドル(約7500円)と送金して助けてくれた」と話す。