エジプト革命から4年、手に入れたのは自由か・格差か・監視か

現在のシシ大統領が、エジプト紅海県のハルガダに新しくできたマリーナ(港の施設)を訪れるために舗装された壁。エジプトの国旗カラーが塗装されている(エジプト・ハルガダ)

2011年1月25日にエジプト・カイロで起きた革命から4年が経ちました。果たしてエジプト人は求めていた「自由」を手に入れられたのでしょうか。2年ぶりに訪問したエジプトで、私はこの是非を考えてみました。ちなみに私がエジプトに住んでいたのは2006年10月~07年9月、11年1月~13年1月の合計約3年です。

エジプト革命が起きた4年前のこの日、首都カイロでは一連の騒動で治安が悪化しただけでなく、インターネットが遮断され、携帯電話が通じなくなるなど、強烈なインパクトを残しました。エジプト国民がこのとき声を上げ、求めたのは独裁者ムバラク大統領(当時)の追放と自由でした。

ムバラク元大統領を追いやった後、初めて行われた民主的な選挙でモルシ前大統領が就任したものの、追放され、軍事政権が復活――。目まぐるしく変わる状況に私のエジプト人の友人で、自営業のサイエダさんは「エジプト人は我慢すべきときに我慢できなかった」と振り返ります。この発言は、モルシ前大統領を追放してしまったことを意味します。「エジプト国民が一体となって求めた民主主義を簡単に手放してしまったから、国としてのまとまりを失ってしまった」と続けます。

2014年12月に再訪したエジプトで私は、多くの友人と再会し、空白の2年間について熱く語り合いました。そこで気づいたのは2つの大きな変化です。

1つめは貧富の差が広がったことです。革命当時は「この状況はすぐに良くなる」と信じ、エジプト人は今までの蓄えを切り崩して生活していました。ところが革命から4年経った今も観光客(エジプトの主要産業は観光)は戻らず、苦しい生活が続きます。その結果、蓄えを使い切った人たちが出てきたことです。

NGO勤務の友人のマグダさんは、住んでいた家を引き払い、家賃が約3分の2のアパートに引っ越しました。専業主婦のマリアムさんは、夫が経営していたスーパーマーケットを手放しました。

反対に、財を築けた一部の人たちは不況を逆手にとって投資しています。民主主義はこんなものといってしまえばそうかもしれませんが、貧富の差が広がったという事実を重く受け止める必要があります。

もう1つは、「監視の目」が強くなったことです。軍や政府の施設や、革命の象徴となったカイロ中心部のタハリール広場へは自由に入りにくくなりました。タハリール広場の真下にある地下鉄サダト駅は今では乗り降りできません。デモを起こしにくいようにしているのです。

ムバラク後の4年間で運良く富を手に入れた人にとって不満は少ないかもしれません。しかし、貧困に陥った多くのエジプト人はこの状況に満足しているのでしょうか。自由を求めて起こした革命なのに「失ったもの」のほうが多かったと感じるのは、私が当事者のエジプト人ではないからなのでしょうか。