バンコクのタイ料理店でバイトするミャンマー難民のZ世代、平穏な毎日を過ごす

ミャンマーの伝統料理であるラペットゥ(お茶の葉のサラダ)をジュさんが作って、記者たちに振る舞ってくれた。人生の中で一番大切なものは何、と尋ねると「心の安らぎである両親。次に、自分の将来と自由も欠かせない」ジュさん(ジュさんらミャンマー難民3人が暮らす家の中で撮影)

「お金に困ってないし、兄から食料ももらえる。タイ・バンコクでの生活に満足している」。こう語るのは、ミャンマー国軍が2月に導入を発表した徴兵制から逃れるため、この3月にミャンマー・カレン州からバンコクへやってきたジュさん(仮名、23歳)。彼は、兄が調理担当として働くタイ料理レストランでアルバイトをしている。

将来が閉ざされた

ミャンマーで軍事クーデターが起きたのは2021年2月1日。ジュさんが高校3年生の時だった。高校は一次閉鎖され、卒業はできなくなった。「教育を受けられないことは気にしない。でも将来を失った」。彼が視線を落として話す顔はあどけなかった。

軍事クーデターが起きてから1年後にカレン州の町で警備員の仕事を始めた。彼が担当していたのは、中国人がオーナーの会社。業務内容はただ座って部外者が来ないかどうかを見張るだけだった。しかし、カレン州の国境警備隊(BGF。現在はカレン民族軍=KNA)の兵士にリクルートされるのではないかと怯える日々だった。BGFの兵士と鉢合わせることはなかったが、「徴兵する」との連絡が勤務先に入る可能性があった。

3月にカレン州ミャワディの近くにある町を、タイへの不法入国を助ける仲介業者のサポートを受けて出発。トラックのコンテナに隠れ、国軍の目を盗んで進んだ。タイの国境を越えるのにジャングルを通って隠れながら移動したので2日かかった。仲介業者に1万6000バーツ(約6万7000円)を払ったという。

空爆ですべての家が灰になった小さな町コーカレイを通るのが辛かった、とジュさん。彼が住んでいた町にコーカレイから歩いて逃れてきた人が来たことがある。「家も家庭も失った彼らはかわいそうだ」とジュさんは言葉を詰まらせる。ミャンマーの国境を越えるには、ジャングルに行くかコーカレイを通るかの選択肢しか残されていなかった。

1 2