軍政に抵抗して大学教員を辞めたミャンマー人男性、バンコクに逃れた今の夢は日本で料理人と教師の二刀流

終始、微笑みを絶やさず穏やかに語るハンさん。その瞳には教育への情熱が宿る(バンコクの自宅で撮影)

「教えることが大好きだ。自分には教える責任がある」。そう力を込めるのは、ミャンマー南部にある国立ダウェイ大学で教員を務めたミャンマー人のハンさん(35)。2021年2月1日に軍事クーデターが起きて1週間後に、公務員などが職務をボイコットする「市民的不服従運動(CDM)」に参加し、大学を去った。現在は、タイ・バンコク中心部のタイ料理レストランで料理人として働くかたわら、ミャンマーの子どもたちにオンラインで数学を教える。

徴兵制は若者の未来を破壊する

タイ料理レストランでのハンさんは、揚げ物と料理の盛り付け担当だ。勤務時間は午前11時から午後2時と午後5時から11時の9時間。午後2時から5時までの休憩時間はボランティアの数学教師に変身する。

現在の生徒数は3人。彼らもまたCDMの一環として「通学をボイコット」した子どもたちだ。いずれもハンさんがミャンマーで教えていた生徒。タイに逃げたときに連絡した。

当時中学生だった彼らは高校生になった。最近は幾何を教えているが、教科書はない。ハンさんのオリジナルカリキュラムだ。生徒1人につき、授業は1コマ1時間半で週2回。

勤務するレストランのワイファイを使い、スマートフォンをウェブ会議ツールのズームに接続して画面を共有しながら授業を行う。「ズームの無料版だと40分の時間制限がある。入退室を繰り返している」とはにかむ。

その一方で「若い世代は(2020年に始まった)コロナ禍や、軍事クーデターと(それに続く)徴兵制に(人生を)狂わされている。自分がやらなければ彼らが教育を受けられなくなってしまう。教える責任がある」と真剣だ。

最初の一歩はピンクカード

レストランでの月収は1万8000バーツ(約7万7000円)。ミャンマーにいた頃より収入は増えたが、「タイ語が使えないため、同僚のタイ人よりも給与は低い」と淡々と話す。バンコク中心部からはずれた地域の古いアパートで、友人と弟と3人で共同生活を送る。1カ月の家賃は、電気代込みで4500バーツ(約1万9000円)だ。

ハンさんがタイに入国したのは2022年8月。現在の職場で働き口を得て、並行して生活基盤を整えていった。不法入国だったため、まずは、ミャンマーをはじめとした近隣諸国の国籍を持つ人への一時滞在許可証である「ピンクカード」を取得。次に、労働許可証とビザ、タイとミャンマーの往来が可能になる身分証明書(CI=Certificate of Identity)、2023年にパスポートを手にした。

労働許可証とビザは毎年更新する必要がある。年に5000バーツ(約2万1000円)が飛んでいく。加えて、ミャンマーに残した家族に毎月5000バーツ(約2万1000円)を送金する。物価が高いバンコクでの暮らしは楽ではない。

今はパスポートが失効する2028年までに別の国へ移動することを望む。行き先の候補は日本か米国。どちらの国も民主的で市民が平等に生きているからだ、という。どの国に移っても、「料理人として働きながら、ミャンマーの子ども・若者たちにオンラインで教え続けたい」と教育に対する揺るがない思いを語る。

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