「大学進学か、家族のための仕事か」軍事クーデターが生んだミャンマー出身22歳の葛藤

ミャンマーを南北に流れるタンルウィン川(サルウィン川)に沈む夕日を眺めるシュウンさん。「革命(民主化)を実現する旅は長い。ほとんどのミャンマー人はCDMをやめた。でも私はまだCDMの学生であり、軍政への抵抗をあきらめない」と語る

「本当は海外の大学で土木工学を学んでエンジニアになりたい。でも故郷に残る家族を支えるためには今の仕事が大事」。こう話すのは、ミャンマー南東部の村出身で、タイ北部のチェンマイに住むシュウンさん(22)。ミャンマーで2021年に起きた軍事クーデター当時、ダウェイ工科大学で土木工学を専攻していた。だが3年後の2024年4月、タイへ渡り、現在はミャンマーの独立系メディアで働く。

気づけばニュースのナレーター

エンジニアになる夢の実現は軍事クーデターで遠ざかった。

大学を中退したシュウンさんは、パスポートなどを携帯せずにミャンマーからタイへ避難した。このため海外の大学へ進むには身分証明書を新たに入手する必要がある。また、高卒認定(GED)の試験をパスしなければならない。海外の大学ではミャンマーの高校卒業証書が認められないからだ。

さらに、軍事クーデターでのしかかった問題が彼女の夢の優先度を下げる。「今は友人に(タイへ逃れる際に借りた)お金を返して、家族全員をタイへ呼び寄せたい。大学はそのすべてがクリアされた後の話」(シュウンさん)

シュウンさんは、チェンマイで自身の生計を立てながら、故郷の家族も支える。2024年5月末にチェンマイにたどり着いてから半年にわたって仕事を探し、ニュースナレーションの仕事にようやくありついた。有給インターンとして働いて得た給料を、家賃を含む生活費、ダウェイ郊外の村に残る家族への仕送り、友人への借金返済に充てると、自由に使えるお金はわずかだ。

「エンジニアになりたい」という子どものころからの「夢」は、彼女が今なにをすべきかという「現実」と天秤にかけられている。現実の比重が大きくなっていく一方で、新たに飛び込んだメディアの世界での経験が彼女の視野を広げた。

「私は今新しい仕事を楽しんでいるし、メディアの勉強も私の人生の一部になると思う。同じ場所にとどまり続けるよりも新しいことに挑戦すべきだと感じている」

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