【column】「何とかなるさ」の神髄

東南アジアの国民性のひとつが、“まあいいか”“何とかなるさ”“気にしない”、という一種の諦めにも似た境地だ。これらの意味をひっくるめた表現として、タイ語では「マイペンライ」、インドネシア語で「ティダアパアパ」、フィリピン(タガログ)語だと「バハラナ」という。現地で暮らすと、この言葉を聞かない日は皆無といっても決して過言ではない。

たとえばタイ人と夜7時に夕食を一緒にとる約束をしていたとする。7時40分ごろようやく現れたその友人の第一声はたいてい「道が渋滞していてね(遅れちゃった)。マイペンライ(気にしないで)」。遅刻したのは自分なのに、その張本人が「気にすんな」と、待っていた私を励ましてくれるのだ。

日本の思考に基づけば、ちょっと変。というより逆。そのセリフを口にするのはふつう、待ちぼうけを食わされていたほうだろう。「(けっこう待ったけれど)まあ、気にすんなよ」と。

ではなぜこんな性格になるのか。そこで思いつくのが歴史だ。

東南アジアの国々は16~17世紀から、欧米列強に支配されてきた。タイだけは植民地にこそならなかったが、領土をだいぶ失った。フィリピンやインドネシアが、スペインやオランダなどに植民地化された期間は300年以上。まさに搾取され続けてきたわけで、被支配者にとっては、支配者からひどい仕打ちを受けても抵抗できるすべもない中、自分で自分を「気にすんな」「何とかなるさ」と励ますしかなかった。

マイペンライも、ティダアパアパも、バハラナも、自分が失敗したときに“自分に言い聞かせる言葉”でもあるのだ。気にしてもしょうがないな、まあいいか今度またやれば、何とかなるさ、忘れてしまおう‥‥言葉によって自分で自分を解放する精神、このテクニックを持ち合わせているのが東南アジアの人たち。アメリカ人がにこやかに大声で発する「ネバーマインド」とは決定的に違う。