アムネスティ、東南アジア:海上のロヒンギャ難民を襲った過酷な状況
今年上旬、迫害を逃れてビルマ(ミャンマー)を船で脱出したロヒンギャの人びとは、子どもも含め、人身売買業者から激しく殴打されたり、時には殺されるなど、地獄絵さながらの状況に置かれていた。アムネスティ・インターナショナルは、そうした状況を明らかにした報告書を10月21日、公表した。
東南アジアでの難民と人身売買問題をまとめた同報告書は、100人を超えるロヒンギャ難民への聞き取りに基づく。話を聞いた人びとのほとんどが人身売買の被害者で、その多くが子どもだった。彼らはビルマやバングラデシュから逃れ、アンダマン海を渡り、インドネシア沿岸に到着した。
モンスーンが終わり、再び海が穏やかな時期が始まり、新たに数千人の難民が、船に乗りこむ。アムネスティは、航路に接する各国政府に、この難民問題への対応策を早急にとるように強く求めている。
アムネスティが話を聞いた人びとは、無事に上陸できたという意味では幸運で、数えきれないほどの人が海の藻屑と消えたり、労働者として売り飛ばされた。各国には、このような悲劇を二度と繰り返さないために、一層の努力が求められる。
今年5月には痛ましい出来事があった。タイが人身売買の取り締まりを強化したため、人身売買業者から船に置き去りにされた難民数千人が、何週間もろくに飲み食いできず、怪我や病気を放置したまま、過酷な船上生活を余儀なくさせられた。
国連は、今年1月から6月の間に、命を落とした人の数を370人以上と推定しているが、アムネスティはそれよりずっと多い数ではないかと考えている。これまで、生死をさまよう難民や移民であふれんばかりの船が数十隻目撃されているが、国連筋によるとインドネシアとマレーシアに上陸できた船は、わずか5隻にすぎなかった。上陸できずに行方不明になった難民の数は、少なくとも数百人で、航海半ばで死亡したか、強制労働へと売られた可能性がある。
金目当ての殴打と殺害
乗組員が身代金を払えないロヒンギャの人びとやその家族を射殺したり、船から突き落として溺れるまま放置していた。そうした行為を他の人びとの面前で行われていた。食料と水不足あるいは病気で死亡する人もいた。
難民たちは数カ月間、激しい殴打など船上で受けた、あまりに過酷な扱いを語った。人身売買業者は難民にひどい仕打ちをする一方で家族に連絡を取り、身代金を要求していた。1人のロヒンギャ少女(15才)によると、乗組員がバングラデシュにいる彼女の父親に電話をかけ、彼女を殴ってその悲鳴を聞かせ、約1,700米ドルを払うよう要求した。
壮絶な殴打が、日常的に行われた。15才の少年は、「毎朝、3回、午後にも3回、夜には9回殴られた」と語った。
自国での迫害
ビルマのロヒンギャの人びとは、何十年にもわたる迫害と差別の中で、行き場を失っていた。法的な市民権も認められない。彼らに対する虐待事件が繰り返し発生している。2012年には、数万人が過密な収容所に押し込められ、壮絶な生活を強いられている。
ビルマやバングラデシュで人身売買業者に拉致されたり、わずかな料金でマレーシア行きを約束された人もいた。いずれも人身売買業者がよく用いる戦術で、行く先には強制労働が待っていた。
地獄のような環境
ロヒンギャの人びとは、船上での移動中、非人道的で屈辱的な状況に置かれた。船内では、極度に過密の中で座らされ、その状態が上陸するまでの数カ月間も続いた。
食料と水にはこと欠き、1日当たり、小さな茶碗1杯のご飯しか配られないのは、当たり前だった。インドネシアに到着したロヒンギャの人びとの多くがひどく痩せているだけでなく、あまりに長期間身動きできなかったため、歩くこともままならず、脱水、栄養失調、気管支炎、インフルエンザなどを患っていた。
インドネシアにおける状況
5月、インドネシア、マレーシア、タイは当初、こうした船の接岸を認めずに、生死をさまよってきた数千人は上陸できないまま放置された。国際的な非難を受け、インドネシアとマレーシアは、来年5月までに別の国が受け入れることを条件に、若干の庇護希望者の受け入れに同意した。
アムネスティの勧告
各国政府は、協力して人身売買と闘わなければならない。さもなければ、東南アジアの最底辺で差別を受け、絶望の縁にいる人びとは、また同様の人権侵害を受ける。
そして人身売買業者に対する取り組みでは、人命や人権を犠牲にしてはならない。その犠牲の一つがこの5月の対応だった。また速やかに行動を起こし、海上捜査と救助活動を実施することも必要。
東南アジア諸国は、即刻行動を起こし、再び海上で人権の惨事を招いてはならない。