カンボジア北西部のバタンバン州タサエン村で、10年近くにわたって地雷処理を続ける日本人がいる。NPO法人国際地雷処理・地域復興支援の会(IMCCD)理事長の高山良二さん(68)だ。不発弾を含み、これまでに約1700個の地雷を処理してきた。「きょうまでの道のりは言葉では表せられないほど大変だった」と打ち明ける。
高山さんは元陸上自衛官。1992年から1993年まで、カンボジアでの国連平和維持活動(PKO)に参加した。この時に「自分の軍事的な能力をカンボジアの復興に生かしたい」との思いを強くした。2002年の退官後、日本地雷処理を支援する会(JAMS)の活動(カンボジア南部などで約3500個の地雷を撤去)を経て、2006年にタサエン村に入った。当時はジャングルに地雷が埋め尽くされていた。マラリアやデング熱も蔓延していたという。
高山さんと一緒に働くのは、カンボジア人の地雷探査員(デマイナー)だ。一般的にデマイナーは、特別な訓練を受けたプロが就く仕事。だが高山さんは村人を訓練し、採用している。村人を雇用することで、貧困を解消し、地域の自立した復興につなげるのが狙いだ。高山さんの元で働く女性は、デマイナーになった理由を「カンボジアは仕事が少ないの。だからひとつは生活のため。もうひとつは村から地雷をなくすためよ」と話す。
しかしデマイナーには命の危険も付きまとう。2007年1月19日、推定8個ほどの対戦車地雷が爆発。探査にあたっていた7人のデマイナーが殉職した。高山さんは当時を振り返り「悔やんでも悔やみきれない。彼らの死を無駄にしないためにも、この活動を続けていきたい」と唇を噛み締める。それ以降、事故は起きていない。
カンボジアに埋まっている地雷は推定400万~600万個。タエサン村が位置するタイ国境付近はカンボジア内戦(1970~1993年)の激戦地だったため、特に多くの地雷が残されている。ところが1年に処理できる地雷の数は約1万個にすぎない。内戦が残した負の産物は、世代を超えて受け継がれようとしている。