【カンボジア伝統芸能に向き合う若者たち①】アイデンティティーをどう再確立するのか

民俗舞踊の舞台発表の様子

ポル・ポト政権下では、あらゆる文化芸術が否定されていたカンボジア。私は、クメール文化の継承を担う若者の役割について研究している。ポル・ポト期の文化破壊から近年のグローバリゼーションという時代の流れの中で、若者はカンボジアの伝統芸能(古典舞踊、民俗舞踊、仮面劇)とどうかかわり、それがカンボジア人としてのアイデンティティーの再確立にどう貢献しているのだろうか。7月14日~8月12日に実施した現地調査で見えてきたことをこの連載で発信していきたい。

■観光資源なのに存続の危機

カンボジアの観光資源といえば、第一にアンコールワット。これに次ぐのが「アプサラ・ダンス」に代表される古典舞踊だ。多くの観光客がこれらの文化遺産を目当てにカンボジアにやってくる。2011年の外国人旅行数は約280万人を数えた。

ところがカンボジアではいま、古典舞踊を含むクメール伝統芸能の存続が危ぶまれている。1970年以降はポル・ポト期の文化破壊など社会の混乱が続き、近年に入ってからはグローバリゼーションの波による伝統文化離れが起きているからだ。こうした事態を懸念して、80年代からはカンボジア政府はもとより、外国からもクメール伝統芸能を保護・復興させようとする動きが高まっている。

私の関心の矛先は、伝統芸能の新しい担い手(踊り手)である若者の真の姿にある。彼らは何を感じ、どんな思いで伝統芸能に携わっているのか。この問いを解き明かすことがこの研究を始めるきっかけだった。

現地調査でインタビューしたのは、カンボジア文化芸術省が管轄するカンボジア王立芸術大学とその初等教育機関の学生・生徒らと、伝統芸能をベースに現代舞踊を使って新たな表現方法を模索するNGOアムリタ・パフォミングアーツで活躍する若いアーティストら。総勢20人からヒアリングした。芸能という同じ世界に身を置きながらも異なるスタンスをとる若者たちに話を聞くことで、現在のカンボジアの伝統芸能界で何が起こっているのかを探れると考えたからだ。

■知られざる伝統芸能の宝庫

まずはカンボジアの伝統芸能について説明したい。カンボジアは知られざる伝統芸能の宝庫だ。

ユネスコの無形文化遺産に登録されているのが、古典舞踊「ロバム・ボラーン」と影絵芝居「スバエク・トーイ」。

この2つ以外にも多様な伝統芸能が存在する。主に地方の少数民族が継承し、日常生活と自然観が密接に結びついているのが民俗舞踊「ロバム・プロペイニー」。女性の踊り手だけで構成される古典宮廷舞踊もあれば、男性だけでクメール古典劇などを演じる仮面劇「ルカオン・カオル」もある。サーカス(曲芸)や現代演劇も存在する。

また、劇や儀式を支える音楽楽器部隊、古典劇の仮面などを制作する伝統工芸も、伝統芸能を支える裏方として重要な役割を果たしている。

しかし、カンボジアの地方に残る伝統芸能は完全には把握できておらず、人々の知らないところで、数多くの芸術文化が消滅してしまっている可能性もある。

芸術文化は国家を映す鏡

こうした多種多様の伝統芸能をカンボジアではどうやって維持しているのか。十分な予算をもたない途上国では伝統芸能の継承は至難の業で、何の手も打たなければ消えていってしまう。

カンボジアの公共教育機関のカリキュラムにはクメール音楽などの文化芸術教育は含まれている。だがその授業日数は限られている。本格的に伝統芸能を学びたければ、専門の初等教育機関に入学し、その後、学士課程であるカンボジア王立芸術大学に進学することが多いようだ。

別のコースとしては、舞踊を教える地元・国際NGOがあり、若者に伝統芸能を学ぶ機会を与えている。観光客向けに公演もし、収入源としているところもある。

インタビューの中で特に印象に残った21歳の若者を紹介したい。彼の父は伝統芸能で活躍する音楽家だった。その父を亡くしたとき、彼は父親の遺志を受け継ぐ使命を感じ、伝統芸能(バサック演劇)を学ぼうと決意したという。

彼は私に「芸術文化は国家を映す鏡だと思う」と語った。この発言は換言すれば、芸術文化の継承は、国家またはクメール(カンボジア)人としてのアイデンティティーを引き継ぐという意味ではないだろうか。

芸術文化は単なる娯楽ではない。大量殺戮を経験したカンボジアで、民族アイデンティティーを再確立する観点からも、伝統芸能の再興は大きな役割を果たすだろう。国家レベルで文化芸術は継承させるべきだし、またその価値がある、と私は思う。

 

原隆宏(はら・たかひろ)
オランダ社会科学大学修士課程在籍。研究テーマは、クメール文化の継承における若者の役割。信託銀行勤務後、日本貿易振興機構(JETRO)アジア経済研究所開発スクール研究生を経て現在に至る。