「身の危険は感じなかった」、イラクで拘束されたジャーナリスト常岡浩介氏に聞く①

ISが支配するイラク第2の都市モスルを取材中の常岡浩介氏(右)

イラク北部でクルド自治政府に10月27日~11月7日に拘束され、8日に日本に帰国したフリージャーナリストの常岡浩介氏(47)を10日、都内で単独インタビューした。12日間の拘束生活について「やることがなくて暇だった。身の危険は感じなかった」と話した。常岡氏はイラク軍などの有志連合によるイスラム国(IS)からのモスル奪還作戦を取材中、ISとの関連を疑われ、捕まっていた。

■ISのキーホルダーが仇に

――なぜ拘束されたのですか。

「モスル奪還作戦を取材中だった私は、最大の激戦地であるバシカ(モスルの近くにある町)で開かれるイラクのフアード・マアスーム大統領の記者会見に出ようとしていました。会見会場でセキュリティチェックを受けていたところ、渡したかばんの中に、ISのロゴが刻印されたキーホルダーが入っていました。それが見つかりました。

クルド自治政府当局からは『取材の機材を確認したい』と言われただけなので、かばんを渡す必要はありませんでした。軽率でした。その場で手錠をかけられ、エルビルにあるアサイシュ(クルド系治安組織)の本部へ連行されました」

――どんなキーホルダーだったのですか。

「ISのロゴは、イスラム教の創始者である預言者ムハンマドが自身の印鑑に使用していたものです。ISの旗にも使われています。今ではISのデザインとして中東では広く認識されています。

私はこれをシリアのバスの中で乗客からもらいました。ISに共感する人はどこにでもいるので、コミュニケーションをとる際に役立つかもしれないと思い、持ち歩いていたのです。このキーホルダーは当局に没収されました」

常岡氏が持ち歩いていたキーホルダー(写真は常岡氏のツイッターから引用)

常岡氏が持ち歩いていたキーホルダー(写真は常岡氏のツイッターから引用)

■食事は肉とパン

――拘束されたとき、クルド当局からはどんな質問をされましたか。

「最初の一時間は『お前がISと関係を持っていることはわかっている』と詰問されました。のちにそれはハッタリだったと知りましたが、私はISの取材経験がありますし、ISと関係をもっていること自体は事実なので、認めました。ただ、取材したことがあるだけで、私はISの仲間でもないし、またISに共感しているわけでもないと伝えました。

私が取材で得たIS内部の情報に、当局は強い関心をもちました。彼らの質問に丁寧に答えていくうちに、『常岡を信じよう』という空気がクルド当局の間で生まれたように感じました」

――どんな部屋に拘束されていましたか。

「最初に尋問を受けた後は、特に取り調べを受けることもなく、3畳くらいの部屋でひたすら待機していました。天井に、早朝のみ陽の入る小さな窓がある以外は何もない、クリーム色の壁の部屋です。

ベッドはなく、毛布2枚を敷布団と掛け布団にして寝ていました。石造りの床が冷えました。看守は英語を話せなかったので、本当にやることがなく暇でした。部屋の中の電気が常に煌々とついていたのでまぶしく、寝るのも一苦労でした」

――トイレやシャワーは不便でしたか。

「トイレには、看守に声をかけ、連れて行ってもらわなければなりませんでした。トイレは部屋の隣にありましたので、においがきつかったです。(拘束中に訪問してきた)駐イラク日本大使館の職員と面会したとき以外はシャワーを浴びることもできませんでした」

――食事はどうでしたか。

「ご飯は美味しかったです。外(街中)の世界では毎日、ケバブといった同じ食事をとっていましたが、拘束中の食事は日替わりメニューでした。カップめんの容器のような皿の上に載せられて出てきました。武器になる硬いものは収監者に渡さないので、スプーンやフォークはありません。

肉が多く、パンで挟んで食べました。コメも出てきましたが、手は洗えないので汚いため、素手で食べるのに抵抗があり、食べませんでした。野菜はカットされていなく、トマトや玉ねぎが丸ごとでてきました。カット野菜だと切り口から感染症になる恐れがあるからです」

■楽天カードは返ってこず

――身代金などの金銭を要求されることはありませんでしたか。

「私を拘束したのは反政府勢力や過激派組織ではなく、クルド人の自治政府でしたので、身代金の要求は一切ありませんでした。拘束される際に、財布に入っている現金の枚数を種別ごと(1ドル札、5ドル札、20ドル札など)に専用の用紙に記載しましたが、釈放されたとき一枚も欠けることなく返ってきました。

カード類もほぼ同様です。ただ、なぜか楽天カードだけが返却されませんでした。クレジット機能を利用した実績はないようなので、単純に物品の管理能力が不足しているのだと思います。

靴は返ってきませんでした。靴は、収監者の靴が1カ所にまとめておいてあるのですが、どんなに探しても自分の靴が見つかりませんでした。おそらく、他の誰かが履いて行ってしまったのでしょう。そこらへんに置いてある靴を適当に履いて行け、と当局に言われました」

――釈放された際、当局から理由の説明はありましたか。

「クルド当局としては『捜査は終了していないが、身柄は引き渡す』という立場だとの説明を受けました。つまりイラク国内では私のステータスは『容疑者』のままです。

ただ、日本国内では、ISへの関与は罪ではないので、日本の法律上、私を拘束することはできません。しかしクルド当局は容疑者を日本に引き渡した形になるので、日本大使館の担当者と話し合った結果、常岡に逃げられては格好がつかない、ということで、私は、逃亡しないという意思を示すためにパスポート(旅券)を自主返納しました」

――シリアへの渡航を計画していた日本人に対し、日本政府が過去に出した「旅券返納命令」とは趣旨が違うということでしょうか。

「異なります。私の場合は、イラクの日本大使館へパスポートを返納しましたが、11月17日以降に受け取り可能と言われました。その後に再び海外へ行くことも可能です」

――クルド当局から釈放された際、「釈放なう」とツイッターに書き込んだことが話題になりました。なう、という言葉を使い、ポップに表現したのは拘束を皮肉する意味合いがあったのでしょうか。

「いやいや、そんな意図は全くありません。ツイッターは本来、『~なう』と書き込むところではないですか。それを忠実に行った結果、お叱りを受ける結果となってしまったわけです」(第二弾に続く