【セネガル協力隊がゆく(5)】子どもに文房具を買わない親をどうするか、アフリカの教育を考える

アリ(2列目の左端)の家族。アリの後ろが、母親代わりの女性。最後列の中央が小学校の校長

青年海外協力隊として私が活動するセネガル・ルーガ州リンゲール県のンジャハイ村小学校は、16人の全校児童のうち、4人はノートとペンをもたずに学校に来る。授業中はボーっとし、周りを眺めるだけ。見るに見かねて校長は児童に言った。「ノートとペンがなければ、授業を受ける意味はないでしょ」

■ペンなしで勉強はできない

この校長は、ノートとペンなしに勉強はできないという持論の持ち主だ。保護者会でも、勉強するために子どもを学校に通わせるのであれば、文房具を買うように、と強く訴えた。文房具をもっていなかった4人のうち3人はその後、ノートとペンを手に学校に来るようになった。

ただ1人は学校に来なくなった。彼の名前はアリという。

アリが学校に来なくなったことを校長は気にかけていた。ちょうど家計調査の訪問先を考えていた私に、校長は「アリの家に行こう」と提案。私たちは早速、アリの家を一緒に訪問した。

アリを呼び出し、校長は質問した。「学校に来たくないのか」。するとアリは「行きたい。勉強したい! けれど親が文房具を買ってくれない‥‥。だから学校に行けない」。

アリの家には、実は別の家族も一緒に暮らしている。同じ小学校に通う男の子がいて、文房具をもち、通学している。

どうしてアリだけ文房具を買ってもらえないのだろう。疑問に思った校長がアリを問い詰めたところ、意外な事実がわかった。

アリは首都ダカールの出身だった。両親はすでに死んでおり、親せきに引き取られる形で、ンジャハイ村にやって来た。校長は「アリは養子だから、文房具を買ってもらえないのかもしれない」とつぶやいた。

私たちは、アリの母親代わりの女性とも会い、「アリにはなぜ文房具がないのか」と尋ねた。すると女性は「勉強しろと言わないと、この子は勉強しない。勉強嫌いの子に、文房具を買っても意味がない。お金の無駄」と説明した。

■ノート1冊とコメ1キロが同じ値段

セネガルでノート1冊の値段は250CFA(約50円)と安くない。同じ金額で1キログラムのコメが買える。

親の立場からすると、子どもが一生懸命勉強しないのであれば、コメを購入した方が良いと考えるのは自然かもしれない。そこで私はある親に「子どもの教育に何を期待しているの?」と直接聞いてみた。

返ってきた答えは「子どもには学校を卒業して、良い職業に就き、将来、親を養ってほしい」というもの。セネガルの親にとって、子どもの教育への投資は、親へのリターンが前提になっている。コストに対する感覚はとてもシビアだな、と私は感じた。

日本の小学生にとって文房具一式がそろっていることは当たりだ。ところが貧しいセネガルの農村では違う。子どもたちは一応、学校で勉強はしているが、そのための環境は整っていない。

文房具があることは勉強する上で最低条件だと私は考える。言い換えれば、親は、子どもの文房具を買いそろえる義務がある。ただそうはいっても、セネガルの現実を無視し、正論を振りかざしても仕方がない。

私は、セネガルの子どもの親が文房具を買い、より多くの子どもたちに勉強してもらいたい。そうした環境を作るにはどうすればいいのか。子どもの教育や学校についてセネガル人はどう考えているのかもっと深く知りたいと思った。(セネガル=藤本めぐみ)