ヒマラヤ山脈の水を巡り、インドと中国が激しい収奪戦を繰り広げ始めた。ガーディアンの8月10日付記事によると、ヒマラヤを源流とする水系で400以上の水力発電ダムの建設計画が持ち上がっている。内訳は、インド292カ所、中国100カ所。両国以外では、ネパール13カ所、パキスタン9カ所、ブータン2カ所などだ。
■経済発展で電気が足りない
こうした事態が起こる背景には、域内各国の急激な経済成長がある。ヒマラヤ山脈の水系はこれまで、とりわけ源流付近ではあまり開発されてこなかった。ところが経済発展に伴い、電力需要が急増。ヒマラヤの豊富な水を使って、水力発電を開発しようという動きが顕在化した。アジアの大国であるインドと中国がとくに躍起になっており、両国はすでに、巨大ダムの建設用地を確保するため、1000万人単位の住民を移転させたとも伝えられる。
もし現在計画中の水力発電ダムがすべて運開した場合、発電規模は1億6000万キロワットにも上る。これは英国が保有する発電設備の3倍以上。日本全体の発電設備の8割にも相当する。
ひとつひとつのダムの規模も大きい。計画中のダムの多くは堤高が高く、出力は400万キロワット級(目安として原子炉4基分)。世界最大の発電所である中国・長江流域の三峡ダム(出力2250万キロワット)や、ブラジルとパラグアイにまたがるイグアスの滝付近のイタイプダム(同1400万キロワット)には及ばないものの、関西電力・黒部川第四発電所(同33万5000キロワット)と比べると、その巨大さは一目瞭然だ。
ヒマラヤ地域は20年後、“ダム密度”が世界で最も高い地域になるとの予測も飛び出している。インドのダム計画がすべて完工すれば、川の長さおよそ32キロメートルに1つのダムが建つ計算になる。
■川下のバングラは干上がる?
中国は、チベット高原で水力発電ダムの開発を進める。チベット高原は、メコン川、ブラマプトラ川(バングラデシュでガンジス川と合流する)、長江、黄河といった大河の源流が集まるところ。「世界人口の半分近くが依存する水の源流がここにある。ダムによる影響は破滅的だが、具体的に何が起こるのかは誰にもわからない」とカナダ・ブリティッシュコロンビア大学の研究者は懸念する。
「中国は、歴史上で最も多い水量を収奪しようとしている。チベット高原でのダム建設だけではない。パキスタンやラオス、ミャンマーなどでも計画を進めている」と指摘するのはインド人の地政学者だ。「中国とインドの争いはいまや、土地から水に変わった。水は、新たな争いの種になる。世界的にみれば中国が唯一、資金的にも、住民を押しのけられる強権的にも、巨大ダムを建設できる。これはある意味、武器を使わない戦争だ」
水の奪い合いで、中国に対してインドは不利な立場に置かれているという。ヒマラヤから中国を経由してインドに流れ込む川が多いためだ。
だが影響がもっと深刻なのは、さらに川下に位置するバングラデシュ。中国やインドが上流で水を使えば使うほど、バングラデシュに流れてくる水の量は減る。バングラデシュ政府の科学者らは、川の水量が10%減少するだけでも、同国の広大な農地を枯らすだろうと予測する。5000万人のバングラデシュ人小農の8割以上はインドから流れてくる川の水に頼って暮らしている。
■インド北部やチベットで反対運動も
ダムの建設ラッシュは人々の生活や環境にどんな影響を与えるのか。環境影響評価はわずかしか実施されていないのが現状だ。洪水が増えたり、地震に対して地盤が弱くなったりといったリスクも指摘される。環境NGO「ダム・川・人の南アジアネットワーク」のコーディネーターは「インドの環境省、デベロッパー、開発コンサルタントは責任があるはずだが、(インドには)信用できる環境・社会影響アセスメントは存在しない」と声を大にする。
気候変動予測によると、ヒマラヤの源流では氷河が解け、川の水量は一時的には増えるものの、2050年ごろには水量は10~20%減るという。これは政治経済的にも重大なインパクトを及ぼす可能性が高い。水力発電による発電電力量が減るだけではなく、水の収奪戦が激化し、地域の緊張が高まることは容易に想像できる。
ダム計画への反対運動はすでに、ウッタラーカンド、ヒマーチャル・プラデーシュ、シッキム、アッサムなどインド北部の各州とチベットで起きている。インド、中国両政府は反対運動の鎮静化に必死だ。多くのダムは大きな貯水量を必要としないと“影響の小ささ”を訴えているが、ダム建設で移転を余儀なくさせられなくても、川の流れが変われば地下水にも当然、影響を与える。このため間接的な被害者は少なくないとの見方は否定できそうにない。