「持続可能な開発目標(SDGs)」を掘り下げる連載「ganas×SDGs市民社会ネットワーク」の6回目は「目標4:質の高い教育をみんなに」(具体的なターゲットはこちら)を取り上げる。アジアで教育・緊急支援を手がけるNGO「シャンティ国際ボランティア会(SVA)」の三宅隆史アフガニスタン事務局長にインタビューした。三宅氏は「日本人の『人様に迷惑をかけてはいけない』精神が、いじめなどマイノリティの排除につながっている」と主張する。
■学校に行かない理由、いじめか・貧困か
――日本の教育の問題点は何か。
「日本が抱える教育問題のひとつに『いじめ』がある。外国にルーツをもつ子どもはいじめの対象になりやすい。不登校になる子どもも増えている。最悪の場合、自殺してしまう。
警察庁によると、1998年に日本の自殺者が年間3万人を超えた。小中高生の自殺者数は年間300人前後で推移する。15~19歳の世代では、自殺は、不慮の事故に次いで2位の死因だ。『学校に行きたくないのに行かなければならない』という気持ちで、いじめにあう子どもは毎日、登校している」
――日本ではなぜ、いじめが大きな問題になるのか。
「日本は、異質な存在に対して不寛容だ。日本社会の不寛容さが、学校でいじめとなって表象化している。社会全体として、マイノリティに対してマイナスな思考をもつ。『人様に迷惑をかけてはいけない』とする風潮が、変わり者を蔑視する流れにつながっているのではないか。朝鮮高校に私学助成金を支給しないことも、日本社会の不寛容さの表れだ」
――日本の社会が不寛容である理由は何か。
「『島国』と『宗教が身近でない』という2つの理由が挙げられると思う。日本は島国で、内向きの外交政策をとってきた。そのため日本の中に同質性が育まれた。また、諸外国と比べると、宗教が日本人の日常生活と密接にかかわっていない」
――日本人は「いじめ」で学校に通えなくなるが、他国はどうか。
「アフガニスタンでは貧困が教育の大きなハードルだ。子どもの30%が小学校に通っていない。卒業できるのは、通学できる70%の子どもの半分。アフガニスタンでは大学までの授業料は無料だが、親の手伝いや働くために学校に通わない子どもは多い」
■娘を守りたい、だから学校に行かせない
――アフガニスタンの教育にジェンダーギャップ(男女格差)は存在するのか。
「アフガニスタンの女子の未就学率は40%。男子の20%を大きく上回る。親の『子を大事に思う気持ち』と『女子を下に見る価値観』の2つが、女子にとって学校に通う障壁になっている。
子を大事に思う気持ちというのは、学校が壁で囲まれておらず、外から丸見えで危ないから、親が子どもを学校に行かせないことにつながる。こうしたケースは少なくない。アフガニスタンには約1万6000の小学校があり、この半分が、日本の戦時中の“青空教室”のようになっている。
男性の教員ばかりの学校にも、親は女子を通わせたがらない。コーランの教えにより、イスラム教徒は家族以外の異性との接触を好まないからだ」
――女子を下に見る価値観とは?
「女子を大切にするのではなく、男性よりも下に見る価値観でいうと、アフガニスタンに残る『早婚の習慣』と関係がある。女子が結婚する平均年齢は14歳だ。親は、自分の子どもを途中まで学校に通わせても、結婚のために途中で退学させてしまう」
――「日本は宗教が身近でない」とのことだが、宗教と国民が身近であることの良い点は。
「宗教の中に『困った人を助ける』教えがあることで、その国が『人様に迷惑をかけやすい』社会になっているケースが多い。タイでは、『マイペンライ(気にしないで)』という言葉をよく聞く。小さないさかいや失敗をしたときに、この言葉をタイ人は頻繁に使う。
タイは上座部仏教の国であるため、タイ人は他人に対して怒らないことで徳を積み、極楽浄土へ行くことができると考える。怒らない行為は、自分自身のためでもある。ただ、マイペンライを言うのは、迷惑をかけられた人ではなく、かけた人。日本の『気にしないで』や英語の『ドント・ウォーリー』とは少し違う」
――アフガニスタンのようなイスラム圏の国はどうか。
「イスラム教にも、困っている人を助けたり、施しをする『喜捨』の精神がある。イスラム教徒には、義務化されている5つの行い(五行)がある。五行を構成するのは、『信仰告白』『礼拝』『巡礼』『断食』、そして困った人を助ける『喜捨』だ」
■イスラム学校マドラサ、アフガンに995校!
――宗教と国民が身近であることの弊害は。
「アフガニスタンには、モスクが運営するイスラム学校『マドラサ』があり、ここに通う子どもも少なくない。アフガニスタンには、小中高合わせて995校のマラドサがある。マドラサでは、普通の公立学校のカリキュラムに加えて、コーランの教えも学ぶ。喜捨の精神などを学ぶという利点がある一方、マドラサはテロ組織『タリバン』誕生のきっかけにもなった」
――どんな経緯でタリバンができたのか。
「旧ソビエト連邦が1979年にアフガニスタンを侵攻した際、パキスタンに400万人の難民が発生した。ムジャヒディンというイスラム戦士が対抗した。ムジャヒディンがソ連軍の撤退を勝ち取ったあと、今度はイスラム戦士のグループ同士が争う内戦状態になる。
タリバンが民衆から支持を得て、勢力を拡大。2001年の米国同時多発テロ(9.11)の後、オサマ・ビンラディンをかくまったことで、国際的に非難される。このタリバンこそ、難民キャンプの中の宗教学校から生まれた」