7歳で学校を辞めたカンボジア人女性、「ごみ山の仕事は辛くなかった。普通だったから」

子どもには教育を受けてもらい、学校の先生になってほしいとサロンさんは語る(カンボジア・シェムリアップ郊外)

「ごみ山が汚いことに気付かなかった」

そう語るのは、カンボジア・シェムリアップのごみ山でかつて働いていたサロンさん(28)だ。2013年から、シンガポールに本部を置くNGOダナアジアがシェムリアップ郊外で経営する養鶏場で働き始めた。月収は50ドル(約5800円)から100ドル(約1万1600円)へと2倍になった。カンボジアで100ドルといえば、庶民的なレストランで働くウェイトレスの月給を超える金額だ。

サロンさんが7歳の時、母親が病気になったため、小学校を辞めた。家族が営む農業を手伝うことになる。近所にごみ山があったので、14歳の時、“副業”としてウェイストピッカー(ごみ山で価値のあるごみを集め、それを売る人)になった。近所の子どもたちもごみ山で働いていて、他にもっと給料の良い仕事が何なのか分からなかったという。

「ごみ山の仕事は辛くなかった」とサロンさん。ただ咳や高熱が出て寝込むことはあった。「病気にかかっても不安になったり、辛い気持ちになったりすることはなかった。それが私にとっては普通だったから」とサロンさんは当時を振り返る。

転機が訪れたのは、ごみ山の近くに養鶏場ができたこと。職員に誘われ、23歳の時、その養鶏場でニワトリの世話をし始める。スタート当初の月収は85ドル(約9800円)。真面目な仕事ぶりが認められて、今は100ドルにアップした。サロンさんは最近、自分の給料から念願の携帯電話(ノキア製)を買った。1年前に養鶏場の同僚であるウロタナーさん(28)と結婚し、子どもも生まれたため、将来は、自分たちの家を建てたいと目を輝かせる。

サロンさんは言う。「昔はごみ山にいたから、ごみ山が汚いことにすら気付かなかった。ごみ山での稼ぎが今の給料の2倍だとしても、私はごみ山には二度と戻りたくない」