ミャンマーのヤンゴン市にある障がい者のための職業訓練校でヘアカットの技術を教えているのがトー・トーさん(43歳)だ。NGO難民を助ける会(AAR Japan)が運営するこの学校で7年前から、理容美容コースの先生をしている。彼には左足の4分の1がない。兵士だった頃にカレン州で地雷を踏んでしまった。「地雷ひとつで傷つくのは1人じゃない」と語る。
■障がい者から先生へ
トー・トーさんが地雷の被害にあったのは1992年。場所はミャンマーで最も地雷が多いとされるカレン州。当時18歳だった。17歳でミャンマー国軍の兵士になってわずか1年の出来事だった。失ったのは左足のすねから下の部分。「人生の終わりを感じた。生きていけないと思った」とトー・トーさん。今は義足を履いた生活を送る。
障がいを負った彼の苦労は長く続いた。被害にあった後は軍の宿舎で働いていたが、2005年に退役。仕事を探すものの、障がいのために仕事が見つからなかった。自分で生計を立てられなかったため、家族を頼って故郷に戻ることに。姉と弟が働いていたが、家族で生活するには収入が足りず、両親が持っていた土地を売って、銀行に預け(銀行口座をもっていた)、わずかな利子を生活費に充てていたという。
トー・トーさんがAAR Japanの障がい者のための職業訓練校の理容美容コースに入学したのは2009年8月。その年の12月に卒業した。半年後の10年6月に教師として学校に戻ってきた。彼のやる気と努力家であることを評価したAAR Japan が教師として採用した。
今はカッティングの技術を生徒たちに教えている。「自分と同じような境遇の若者たちに教えることにやりがいを感じている。この場所で、ずっと先生をしていたい」と語る。
■オタワ条約批准していない
ミャンマーはオタワ条約(地雷禁止条約)を批准していない国のひとつだ。ミャンマー以外では北朝鮮やシリアもある。
トー・トーさんは「地雷は使わない方がいい。地雷ひとつが傷付けるのは人ひとりじゃない。その人の家族まで傷付ける。家族の1人が被害にあえば、それを家族が支えなければならない。日常生活に助けが必要になるし、何よりもお金がかかるようになってしまう」と話す。
NGOのピースボートによれば、ミャンマー政府は地雷の撤去活動を認めていない。AAR Japanは2013年からカレン州で地雷対策活動を進めている。ヤンゴン事務所の中川善雄代表も2014年まで、カレン州で、地雷を踏まないための教材製作に携わっていた。
地雷対策は、地雷回避教育、地雷被害者支援、地雷除去の3つで成り立つ。AAR Japanがミャンマーで注力するのは地雷被害者支援だ。中川代表は「地雷問題の解決に向けたミャンマーでの取り組みはまだ始まったばかり。政府機関、国連機関、NGOなどのあらゆる団体が連携して、取り組む必要がある」と語る。