JICAの「プロサバンナ」事業はモザンビークの農民を貧しくする? NGOが現地調査報告会

3カ国市民会議で発言するモザンビークの農民ら

アフリカ南東部の国モザンビークの熱帯サバンナを広大な農地に変える国際協力機構(JICA)のプロジェクト「プロサバンナ」への反対が強まっている。アフリカ日本協議会(AJF)、日本国際ボランティアセンター(JVC)、オックスファム・ジャパンの日本のNGO3団体は9月30日、都内の参議院議員会館で現地調査報告会を開いた。プロジェクトの対象地まで実際に足を運び、“負の現実”を目にした東京外国語大学の船田クラーセンさやか准教授、JVC南アフリカ事業担当の渡辺直子さんら4人が報告した。

■農地を追われ1日1食に

船田准教授らによると、この現地調査でどうしても知りたかったことは2つある。ひとつは「事業を進める日本の外務省、モザンビーク政府、JICAなどの援助関係者と、モザンビークの農民との対話は進んでいるのか」。もうひとつは「プロサバンナの対象地に住んでいた農民の生活はどうなっているのか」だ。

調査団は、現地の農民からヒアリングしたほか、事業推進者と農民の意見交換の場である「3カ国市民会議」にも出席した。その結果、「信じがたい事実が明らかになった」と渡辺さんは指摘する。

第一に、事前協議の約束が守られず、十分な対話のないままプロジェクトが進められていることだ。

プロサバンナは「小農への支援」を事業の目的に掲げている。にもかかわらず、小農との対話は進んでいない。事前協議では「プロジェクトの実施後も、主食のメイズとキャッサバは栽培できる」との約束だった。ところがその約束は守られず、新しい農地では市場販売や輸出に適した綿花や大豆が中心に栽培されているのが現実だ。

「なぜそうなったのかの説明を求めても、満足な返答はない。対話の場である3カ国市民会議に、プロジェクトの推進側が欠席することもあると聞く」(JVCの渡辺さん)

第二に、農民は、プロサバンナが始まる前よりも厳しい生活を強いられているという事実だ。

ある農民の女性は、プロサバンナのために40ヘクタールの自分の農地を手放した。政府から新しく支給されたのは、自宅から3時間もかかる場所で、しかも沼地だったという。土地の面積はわずか7ヘクタールと5分の1以下に。補償金もほとんどもらえなかった。

この女性はかつて、農業の収入で1日4食の生活ができ、子どもたちを全寮制の中学校に通わせていた。だが今では収入が激減し、子ども7人を抱えて1日1食がやっとの生活。大学に進学させられるはずだった娘は働かざるを得なくなったという。

船田准教授は、この女性が発したひとつの言葉が心に突き刺さったと話す。「私(この女性を指す)は農民である。母親である。そして、この農地を守っている者である。しかし今、モザンビークでは土地を守る農民から農地が奪われている現実がある」

プロサバンナ地帯の地図

プロサバンナ地帯の地図

■安倍首相に異議申し立て

プロサバンナにNGOが反対の声を上げたのはもちろん、今回が初めてではない。かねてから一貫して、事業の見直しを求めてきた。

2013年6月に横浜市で開かれた第5回アフリカ開発会議(TICAD V)の直前(5月28日)、モザンビークの農民組織や市民社会組織(CSO)など23団体は、日本、ブラジル、モザンビークの3カ国の首脳あてに「プロサバンナ事業緊急停止のための公開書簡」を送付した。これはいわば、プロサバンナへの異議申し立てだ。来日した農民組織の代表者らは直接、安倍晋三首相に書簡を手渡した。だが書簡への正式な回答はない。

日本政府を含む事業者の硬直的な姿勢を見て、AJF、JVC、オックスファム・ジャパン、ATTACジャパン、モザンビーク開発を考える市民の会のNGO5団体は9月30日の報告会の場で「プロサバンナ事業に関する緊急声明」を発表した。このなかで、「事業対象地でのていねいな現地調査を実施すること」「現地の農民との議論を踏まえ、プロサバンナを抜本的に見直すこと」「プロサバンナについての十分な情報公開と説明責任を果たすこと」など7つの要望を突きつけた。

プロサバンナの実態を疑問視し、停止を求める市民社会の声は大きくなるばかりだ。「このままの形で事業が継続すると、開発の主役であるはずの農民が置き去りにされてしまう」とJVCの渡辺さんは懸念する。

■モデルはブラジルのセラード開発

プロサバンナの正式名称は「日本、ブラジル、モザンビーク三角協力によるアフリカ熱帯サバンナ農業開発計画」。2009年に合意された開発プロジェクトで、日本とブラジルが一緒になってモザンビークを支援するものだ。総予算は約270億円。モザンビーク北部の3州で1400万ヘクタール(北海道、九州、四国を足した面積よりやや広い)の土地を一大農地に変えるという壮大な計画。市場販売や輸出に適した綿花などの作物を大量栽培し、農民の生活を向上させることを目指す。

このプロジェクトのモデルとなったのは、1970年末から日本の支援で進めたブラジルの「セラード開発」だ。作物栽培に適さないとされたブラジル中部のセラードと呼ばれる熱帯サバンナ地帯で“成功”した開発計画を、同じポルトガル語圏で気候も近いモザンビークにも適用しようとしている。ただモザンビークの農民の間では当初から、「今までの農業ができなくなるのではないか」といった不安の声もあがっていたという。(澤田芽衣)