【ペルー駐在記(2)】アンデスの村を再び訪問、「子どもを連れ去らないで!」と怖がられた‥‥

じゃがいも畑で働くスサーナさんの父(写真はホームステイ先の12歳の娘が撮った)

ペルー・アンデス山脈のジョクジャ村(標高3000メートル以上)で「ツーリスモ・ビベンシアル」(ホームステイ観光)を終えて1カ月半(第1回連載)。ホームステイをさせてくれた先住民(ケチュア族)のスサーナさん一家は元気かな、子どもたちは栄養のあるものを少しでも食べられているかな、と気がかりだったこともあって、私は再び訪問することにした。

今回は、食後に甘いものを一緒に食べようとパネトンケーキ(クリスマスのケーキ)を購入。これ以外にも、栄養不足を補えるようにコメや鶏肉、野菜、パスタなどをかばんに詰めた。

スサーナさんは携帯電話をもっていないため、連絡手段はない。なので前回と同じ旅行会社に頼み、ジョクジャ村を目指した。以前のホームステイでは別れ際にスサーナさん一家から「私たちはいつもここにいるから、いつでも来ていいよ」と温かい言葉をもらっていたので、私の気持ちはワクワクと高揚していた。

ジョクジャ村に着くと、畑仕事の最中のスサーナさんと運良く出会った。「また一晩、泊めてくれない?」とお願いする。ところがスサーナさんの様子がおかしい。明らかに、私たち(日本人とスペイン人)をホームステイさせるのを渋っている。

スサーナさんは言いにくそうに、私たちが予期しないことを口にした。「あなたたち外国人は、私の子どもを連れ去るんでしょ。私は、子どもを奪われたくないの。だからうちに泊まってもらうのはちょっと・・・」。その言葉を聞いて、隣にいたスサーナさんの長女(12歳)も泣き始めた。

私は驚いた。何があったのか、と。旅行会社のスタッフが慌てて、ケチュア語で説明し始める。「私はジョクジャ村の下にある村の出身だし、あなたは私の親も知っているでしょ? 信用してください。この人たち(私たちのこと)はあなたの子どもを連れ去ったりはしませんよ。ただ一晩、村の生活を体験したいだけなんです。ほら、食べ物だっていっぱい持ってきてくれているんですよ」

女の子はますます激しく泣きじゃくる。5分くらいの話し合いの末、またホームステイさせてもらえることになった。後から話を聞くと、私たちが到着したのを見た村人が「外国人が子どもを連れ去りに来た」と吹聴したようだった。

誤解が解けた後、私たちはスサーナさん一家と一緒に畑に行き、畑を耕したり、話をしたり、畑の周りに生えている豆やトウキビをかじりながら、ゆったりとした時間を過ごした。あんなに泣いていた女の子は、気が付くと私たちと一緒に遊んでいる。今回持参したカードゲームのウノをとても気に入ったようで「次回もこのゲーム持って来てね」と嬉しそうだ。

外界との接触がほとんどない村の生活。外国人に対する警戒心は根強いものがあるのかもしれない。もしかしたら過去に本当に子どもが誘拐されたことがあったのだろうか。それとも教育へのアクセスが不十分なせいで、無知が偏見につながっているのだろうか。

子どもたちは小学校に通っているので、読み書きができる。だがスサーナさんやスサーナさんの両親は非識字者だ。教育を受ける機会がなかったのだろう。他の世界のことを知る、視野を広げる――など、教育の役割を改めて考えさせられる体験となった。

せっかく知り合いになったスサーナさん一家を私はこれからも訪問したいと思っている。「子どもたちはフルーツが大好きだけれど、ほとんど買うことができない」とスサーナさんがこぼしていたので、今度はフルーツを持っていこうと心に決めた。

 

由佐泰子(ゆさ・たいこ)
ペルー・リマ在住。2013年1月から、国連世界食糧計画(WFP)ペルー事務所でプログラム・オフィサー。JETRO開発スクールIDEAS、カリフォルニア大学教育大学院卒。高校教師、青年海外協力隊(ベネズエラ、青少年活動)、宮城教育大学の教務補佐員、東日本大震災の被災地を支援するNGO勤務を経て現職。仙台市出身。