寺に行く頻度と仏教の信仰心は無関係だ——。カンボジア・シェムリアップで暮らす仏教徒の若者はいまや、月に1~2回しか寺に行かない。生活が慌ただしくなってきたのが理由だ。ただそれをもって信仰心が薄れたと言い切るのは早計だ。フェイスブックに投稿された僧侶の動画で説法を聞き、仏教の教えを学ぶ若者も少なくない。
シェムリアップの高校に通うセンハーくん(17歳、男性)は「放課後は毎日、塾がある。休みの日だって塾の宿題をやらなきゃいけないんだ。お母さん、お父さんも仕事が忙しい。寺に行く時間はそんなにとれないよ」と語る。世界遺産アンコールワット群があるシェムリアップでは、観光業に従事している人が多く、一昔前と比べれば多忙だ。カンボジア人は伝統的に毎週家族で寺に行くが、なかなかそれが難しくなってきた。
ただ寺に行く回数が減ったからといって、仏教の信仰心が薄れてきたわけではない。デジタルネイティブ世代の若者の多くは、寺に行かなくても済む方法で僧侶の説法に触れる機会をもっている。そのひとつがフェイスブックだ。僧侶は、自分のフェイスブックに自身が説法している動画を投稿するが、若者はそれを聞くという。
フェイスブッックを使えば、いつでもどこでも自分のタイミングで説法を聞くことが可能だ。シェムリアップ最大のショッピングセンター「ラッキーモール」の石けん屋で働くワッタイさん(19歳、女性)は時々、フェイスブックで僧侶が配信する説法の動画を見る。「幼いころから生活の一部として身近にあった仏教の教えをもっと詳しく知りたい。だから時間があるときに説法を聞くの」(ワッタイさん)
仏教徒にとって説法はなくてはならない。仏教の教義を知ることができ、それにより仏教の教えをより正確に実践できるからだ。ただ上座部仏教の仏典はパーリ語で書かれている。僧侶は仏典をパーリ語からカンボジア語に翻訳し、庶民へわかりやすい言葉で説明する。
説法を聞くことで心が落ち着き、リフレッシュできると答える高校生もいる。ラニーさん(17歳、女性)だ。「説法は時々、ラジオで聞く。どうやって徳を積んで生きていけばいいかを教えてくれるから、説法を聞くと心が安らかになる」
またラッキーモールの総菜屋で働くクロワットさん(21歳、女性)は「お金がなくて以前悩んでいたとき、説法を聞いた。お坊さんが現世で善い行いをすれば、来世でお金には困らないと言っていたので、落ち込まず、地道に功徳を積んでいこうと思えたの」と話す。
シェムリアップで暮らすカンボジアの若者たちは、寺にひんぱんに行けなくても、周りの人に「善い行い」を日々している人が信仰心の強い人だと考えているようだ。善い行いの代表例として、多くの若者が真っ先に答えるのが、親に敬意を払い、手助けをすること。高校生のレイさん(17歳・男性)は「お母さんとお父さんは僕が生まれたときからずっと、僕のためにお金や時間をかけて育ててくれた。僕はもう大きくなったから、今度は僕がお母さんとお父さんを助ける番」と当たり前のように話す。