熱帯の太陽がじりじりと照りつける4月16日。ミャンマー暦では、新年を迎える「水かけ祭り」の季節だ。ミャンマーの最大都市ヤンゴンでも、大量の水がホースから放たれ、弧を描いて飛び交う。ヤンゴン最大の特設ステージには次々と人気歌手が登場し、押しかけたびしょぬれの観客を沸かせている。そのステージに、ピンクの民族衣装を身にまとい、黄色いパダウの花の髪飾りをつけた日本人歌手が歩み出た。滑らかなミャンマー語で現地の民謡を歌い始めると、観客は歓声と拍手で応える。すわじゅんこさん、ミャンマーの地で根強い人気を誇るシンガーソングライターだ。すわさんが水かけ祭りで歌い続けて4年目、ついに2018年はホテル観光省から招待を受け、ヤンゴンとマンダレーで計5回公演した。
すわさんの歌手活動は水かけ祭りにとどまらない。伝統芸能の息づく第2の街マンダレーで、ミャンマーの音階や竪琴、サインワインという名の太鼓を学び、作曲に取り入れた。ミャンマー各地でライブをし、地元の歌手とコラボしたり、日本語の曲をミャンマー語に訳して歌ったりと活動の幅は広がる。2018年には、日本とミャンマーの各都市を回るワンマンライブも開催する。
ミャンマーとの出会いは3年前。大学卒業後は東京のライブハウスなどで歌っていたが、海外での出演経験がすわさんの音楽に影響を与えた。「海外のお客さんはとてもファンキーに盛り上がる。みなさんの情熱を受けて、新しい音楽が思いつくことも多い」と語る。ミャンマーも例外ではなかった。ミャンマー語で歌った宇多田ヒカルの「ファースト・ラブ」をフェイスブックに投稿したところ、ミャンマーで話題となり、再生回数は25万回を超えた。現地での初ライブは大盛況。その後も各方面から出演依頼が舞い込み、ミャンマー訪問は13回にのぼるという。
だが、ミャンマーに触れる中で見えてきた問題もあった。実は、ミャンマーの学校には音楽の授業がない。そこで、すわさんは寺子屋や孤児院の子どもたちに歌を届ける活動を始めた。「子どものときに音楽に触れているか否かで、その後の人生が大きく変わると思う。ミャンマーの子どもたちに、音楽を将来の夢に入れてほしい」とすわさんは願う。
一方で、「近年のミャンマー人歌手のレベル向上には目を見張るものがある」と語るすわさん。2011年の民主化以降、ミャンマーでも自由に音楽活動ができるようになったからだ。「聞き手のレベルも上がっている。初めてミャンマーに来た頃は、日本人がミャンマー語で歌うだけで喜ばれたが、今ではそれが通用しなくなっている」。この国で勝負を続けるために、今すわさんが取り組んでいるのは、良い歌詞を書くこと。「これからも、ミャンマーをメインに活動したい。もう来年の水かけ祭りの計画も考えている」とすわさんは目を輝かせた。