20年経っても日本の難民政策は変わらない! 闘い続けるロヒンギャ難民ゾーミントゥさんの苦悩

日本ロヒンギャ支援ネットワーク(RANJ)の事務局長を務めるゾーミントゥさん。2002年に日本で初めて難民認定を受けたロヒンギャだ

国際人権NGOアムネスティ・インターナショナルは4月28日、難民と交流を深めるツアー「いま難民へ会いに行こう」シリーズ第1弾を開催した。訪問先は、埼玉県川越市でリサイクル会社を経営し、日本ロヒンギャ支援ネットワーク(RANJ)の事務局長を務めるゾーミントゥさん。来日して20年、自身も難民で、現在は難民を支援する彼は「日本の難民政策には法的欠陥と人道的欠陥がある」と主張する。

ゾーミントゥさんが日本にやってきたのは1998年。2002年に日本で初めて難民認定を受けたロヒンギャだ。ロヒンギャとは、主にミャンマー西部のラカイン州に暮らす約100万人のイスラム系少数民族。国籍をもたず、1990年代から数十年にもわたって差別と激しい迫害に苦しめられてきた人たちだ。2017年8月25日には、ラカイン州北部で新たに激しい衝突が起こり、女性や子どもを中心に多くのロヒンギャが国外への避難を余儀なくされている。

ゾーミントゥさんにとって、来日してから難民認定を受けるまでの4年間は苦悩の連続だったという。成田空港に着くとすぐに不法入国者として拘束され、そのまま1年収容された。「強盗や殺人をしたわけでもない。何も悪いことをしていない。なのに収容された。いつ出られるのかもわからない。こんなのおかいしいと思いませんか」。ツアーに参加した日本人らにゾーミントゥさんは疑問を投げかけた。

日本の難民政策について研究してきたゾーミントゥさんが指摘するのは、日本の難民政策の法的欠陥だ。「日本で難民認定を受けるには、自分が難民だと証明する必要がある。だが母国での迫害や暴力、レイプや強制労働の事実すべてを証明するのは不可能に近い」

法務省入国管理局によると、難民申請者数1万901人に対し、難民認定者数はそのわずか0.26%の28人(2016年)。「あまりの過酷さに仮滞在中に他国に逃亡する難民も少なくない。(不法滞在の)外国人と難民を同様に扱い、追い出すこと中心の考え方を適用する点が最大の問題だ」とゾーミントゥさんは話す。

ゾーミントゥさんはまた、難民政策の人道的欠陥についても改善が必要だと訴える。「難民申請をしただけで収容され、窓もシャワーもない部屋に何年も閉じ込められる。母国に戻れば殺されると知りながら、母国へ強制送還する。同じ人間がやることとは到底思えない」と憤りを露わにした。

波瀾万丈な人生を歩んできたゾーミントゥさんの信念は「ヒューマニティ(人間らしさ)」だ。2011年3月11日に東日本大震災が起きた時も、ゾーミントゥさんは手元にあったお金と仲間からの寄付をかき集め、30万円分の食料を自らの車で被災地に届けて回った。「困っている人を助けるのは当然。難民も、被災者も、同じ人間」とゾーミントゥさんは言う。

ゾーミントゥさんが気がかりなのは、日本の難民政策が変わらないことだけではない。日本人の難民に対する意識さえこの20年で変化がないと感じるという。「教育の現場でも、メディアでも、難民について触れる機会は少ない。日本人が声を上げない限り、日本の難民政策は変わらない」とため息を漏らす。

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、難民や国内避難民など故郷を追われた人たちの数は2015年末時点で推計6530万人に上った。この数字は、第二次世界大戦が終わってから最多だ。「ロヒンギャだけでなく、シリア難民やベトナム難民などすべての難民を救いたい」と話すゾーミントゥさんは、日本の難民認定数が増えるよう今後も活動を続けていく。このツアーに参加した三神尊志さいたま市議は「ゾーミントゥさんのような難民がいることを市民に伝え、市や地域レベルで難民理解が進むよう努めたい」と述べた。

アムネスティ・インターナショナルが主催した「いま難民へ会いに行こう」シリーズ第1弾。埼玉県川越市までロヒンギャ難民のゾーミントゥさんを訪ねていった。写真はツアー参加者たち(前列中央はゾーミントゥさん)

アムネスティ・インターナショナルが主催した「いま難民へ会いに行こう」シリーズ第1弾。埼玉県川越市までロヒンギャ難民のゾーミントゥさんを訪ねていった。写真はツアー参加者たち(前列中央はゾーミントゥさん)