西アフリカのベナンに、服のブランドを立ち上げ、モデルの仕事をしながら、音楽フェスでラップを歌う、長身の男性がいる。オドム・ペヌさん(30)だ。「服やアクセサリーが大好き。音楽は生活の一部。多くの人の前で自分を表現するのは楽しい」と笑顔で語る。「好きなことを仕事にしたい。どんなことも好きなら乗り越えられるから」と話すオドムさんは、将来は自分のブランドの商品を、服以外の小物にも広げながら、プロのモデルと歌手を目指す。
■ブランド名は“俺ならできる”!
オドムさんが23歳のときまず立ち上げたのは、Tシャツのブランド。ブランド名は「YESAICAN(イエス・アイ・キャン)」。「私ならできる」という意味だけでなく、「辛いことにも耐える」という思いが込められている。“I”ではなく“AI”を使ったのは、痛いときに出る「アイッ」という言葉を表す。「夢を追う人の前には必ず、障害が立ちはだかる。しかし辛さに耐え、諦めない人だけ夢を叶えられる」とオドムさん。Tシャツは、彼がすべてデザインし、それをプロのデザイナーがパソコンで修正し、プリントする。
宣伝方法はオンラインだ。服の値段は1着5000~1万CFAフラン(1000~2000円)。1カ月に平均10着を売る。これまでは、フェイスブックとインスタグラムなどのSNSに服の写真だけを載せていた。2年前の28歳のときにモデルを始めてからは、PRの仕方を変えた。自らがモデルとなって、YESAICANの服を着るようにした。ファッションショーにもYESAICANの服を着て出る。モデルの仕事を、自分のブランドのPRに最大限に生かすよう考えた。
■きっかけは路上スカウト
オドムさんのモデルデビューは28 歳の遅咲き。きっかけは、モデル事務所「ミスナットベナン」(Missnat BENIN)の社長から路上でスカウトされたこと。オドムさんは身長192センチメートルでスタイル抜群。昔から家族や周りの友だちに「モデルになるべきだ」と言われてきた。興味はなかったが、服やアクセサリーが好きだった彼は、モデルになる決心をした。
モデル名は「HAKUNA MATATA」(ハクナ・マタタ)。意味はスワヒリ語で「何も問題ない」。心の中に強さがあればなんだってできるんだ、という彼の思いからとった。
彼の事務所に所属するのは、オドムさんを含む27人のモデルの卵と3人のプロ。事務所はモデルの卵を売り出すために、歩き方や目線の配り方、服や小物の魅力的な見せ方など、モデルとしてのトレーニングをしたり、SNSに載せる写真を撮ったり、ファッションショーに出演させたりする。ファッションショーは年に3~5回ベナンの大きなホテルやホールを使って開かれる。オドムさんは「観客全員に、自分が着る服やアクセサリーの良さが伝わるように歩いている」と、モデルとしての意識の高さを語る。
■ラップでアフリカ文化を伝える
オドムさんが本格的に音楽を始めたのは、3刀流の中で一番早い17歳前後。高校を卒業した直後だ。2012年から2016年まで、グループでラップを歌っていた。それ以降はソロに転身。芸名は、モデルの名前と同じハクナ・マタタだ。自分で歌詞を書きミュージックビデオを制作する。これまでに作ったのは、ベナンの女性の強さなどを訴えるテーマなど6曲。自らのユーチューブとフェイスブックで宣伝する。
ラッパーとしてオドムさんは、ベナンで1年に2~4回開催される音楽フェスティバルにも参加する。音楽フェスは、3日間で約100人のミュージシャンが出演する大規模なもの。主催者はベナンで社会派ミュージシャンとして有名なカマル・ラジさん。友だちでもあるカマルさんに誘われ、社会批判を題材にする歌を歌う。
■貧しいベナンで夢を追う
オドムさんによると、ベナンにモデルは卵を含め約500人いるという。しかしプロは20人しかいない。「ベナンでは、モデルやミュージシャンの価値をわかる人は少ない。(モデルを含む)アーティストこそ、自国の文化を海外に発信できる力があるのに」と不満をもらす。
貧しいといわれるベナンで、夢を追うことは簡単ではない。「心の中に強さがあれば問題ない」の精神で、ブランドの認知度アップ、プロのモデルとして世界のファッションショーに出ること、アフリカ文化を海外に発信できるラッパーになる――三刀流の実現に向かってオドムさんは今日も走り続ける。