ヤンゴン大でミャンマー初の学生映画祭! ホラーから青春ものまで大盛り上がり

NMDCtvの1周年記念イベントの開会式であいさつするテッアウンピョーさん(ミャンマー・ヤンゴン)

スクリーンに映る若い男女が仲睦まじい雰囲気になると、学生で埋め尽くされた観客席から冷やかしと黄色い声が上がった。ここはミャンマー、ヤンゴン大学の大ホール。今日はミャンマー初の学生映画祭だ。次から次へと上映されるおよそ10分から30分の短編映画は、すべて学生の手による力作。暗闇から恐ろしい人物が追いかけてくるホラーから、若者の苦悩を描いた青春ものまで多様な作品が見られた。

日本では昔からよく見られる、大学生による自主映画の上映会だが、学生活動が弾圧されてきたミャンマーの学生にとっては大きな一歩だ。2018年7月23日、ミャンマーで自称初の学生映画祭を主催したのは、ヤンゴン大学とダゴン大学の映画製作サークルから集まった学生有志6名。上映された10本の短編自主映画も、ヤンゴン大学、ダゴン大学、ヤンゴン工科大学などの学生らが製作した。また、会場となったヤンゴン大学のホールにはおよそ350席が設けられ、同じく学生の観客で満席となっていた。

主催者のひとり、ダゴン大学のピャソンウーさんは「映画を作っている学生たちは、熱意はあるが、公開する場がなかった。僕たちはこの映画祭で、彼らに発表のチャンスを提供したかった」と話す。また、ミャンマーで若手が映画制作の技術を学ぶ場が少ない点も問題視。この映画祭の準備期間にも4度のワークショップを開催し、映画制作の技術を高めあったという。

最近になり学生の創作活動が大きく動き出した背景には、この国の軍事政権時代の大学弾圧の歴史がある。1988年、ヤンゴン大学とヤンゴン工科大学の学生が軍事政権に対するデモに火をつけて以来、政府は集会やデモを禁止。学生による自由な表現活動も抑圧された。さらに、学生の結束を恐れた軍事政権は、大学のキャンパスをヤンゴンから遠く離れた郊外に分散させた。そして1996年には、両大学は閉鎖となっている。

だが転機は2011年に訪れた。この年ミャンマーでは、民政移管でテインセイン大統領が誕生。ヤンゴン工科大学は2012年末、ヤンゴン大学は2013年末にようやく再開した。それから5年が経ち、大学では自由な創作活動に取り組むサークルが立ち上がり、大規模なイベントを行うようになってきている。

ヤンゴン大学での学生映画祭の翌週、8月2日に、もうひとつの学生によるイベントが開かれた。この日は国立経営学院(NMDC)の学生インターネットテレビ局「NMDCtv」が、結成1周年記念を祝った。

2017年7月、NMDCのジャーナリズム学科の学生らが、授業の枠を超えて実践活動をしようと、NMDCtvを結成した。過去1年間で、学校紹介や行事の告知など十数本の動画を制作し、フェイスブックで公開している。イベントでは過去に制作した動画が数本、上映された。また、有志の学生がダンスや歌、マジックショーを披露し、さながら高校の文化祭のように盛り上がる場面も見られた。主催者のひとりのテッアウンピョーさんは「結成当時には10人だったメンバーも、1年で40人にまで増えた」と活動が活発化していることに手ごたえを感じている。

だが、大きなサークルが見られるのは、いまなお一部の有名大学に限られている。ミャンマーの大学生に、「授業の後は何をしていますか」と聞くと、「特に何も」「仕事をしています」「家事の手伝いです」という答えが返ってくる。日本の典型的な大学生のように、「友人とサークル活動をしています」と答える学生はまだ少ない。

そのような中でも、冒頭の学生映画祭のピャソンウーさんは「来年もまた学生の映画祭を開催し、次の世代につなげていきたい」と意気込みを語る。民政移管から7年、まだサークル活動も黎明期といえるが、今後ミャンマーの学生生活が変わっていくのは確実だろう。

学生映画祭オリジナルのシャツを身に着けたピャソンウーさん(ミャンマー・ヤンゴン)

学生映画祭オリジナルのシャツを身に着けたピャソンウーさん(ミャンマー・ヤンゴン)