元ミャンマー難民で日本人ファッションデザイナーの渋谷ザニーさんはこのほど、日本アセアンセンターが都内で開いたセミナー「ミャンマーシルクの振興:明治の絹とモダン・ミャンマー」で日本人ビジネスマンを前に講演した。シルクの生糸を作る技術を国際協力機構(JICA)がカイン(カレン)族の人たちに教えるプロジェクトについて「カレン族にはかつてシルクで侮辱されてきた歴史がある。ミャンマーシルクをビジネスとして発展させるためにはミャンマーの歴史や文化、現状をまずは知ることが大切」と力説した。
「ビジネスしたいのなら、ミャンマーはいま無理」。渋谷さんは開口一番、シルク産業でミャンマーに進出しようとする業界関係者にこう言った。理由として挙げたのが、ミャンマー人が家族と一緒に生活するために必要な生産量と、日本人がビジネスとして考える生産量が異なること。「(タイとの国境に接するミャンマー東部の)カレン州の女性にとっては、出稼ぎに行かず、家族と一緒に暮らせればそれでいい。シルクに換算すると、村で年間1トンほどの糸ができれば十分。そういう事情を理解したうえでビジネスを考えないといけない」と釘を差した。
JICAや日本企業がシルク産業に力を入れようとしているカレン州は、実はシルクの服を着る文化がなかった場所だ。民族衣装は綿や麻製。ミャンマーではかつて、ビルマ族(ミャンマーで70%を占める最大民族)がシルク製の服を正装としていたため、カレン族はビルマ族の王の前に立つ際は民族衣装を脱ぎ、シルクの服を着なければならなかったという。「これは、カイン(カレン)族にとっては侮辱を受けてきたようなもの」(渋谷さん)
貧困からの脱却を目指し、カレン州のシルク産業への援助をJICAに要請したのは、ビルマ族出身のアウンサンスーチー国家顧問だ。プロジェクトの目的は、カレン族の女性たちがタイへ出稼ぎに行って長時間労働したり、人身売買されたりしなくてもすむようにするため。カレン族の人たちにとってシルクを扱うことは民族の侮辱になるが、それ以上に貧窮した状態だったという。
JICAのシルク生糸の技術指導プロジェクトは2018年3月に始まった。このプロジェクトの目玉は、電気を使わなくてもシルクの生糸を作れる「上州座くり」を教えること。上州座くりとは、売り物にならないまゆを糸にし、家族のための布を織った、江戸時代から続く日本の製糸技術だ。
ミャンマーは現在、シルク生糸の生産を中国に頼っている。だがまゆ自体は年間350トンほどとれる。まゆから生糸をとり、シルク製品を作ることができれば、観光客に売れる。カレン州にはタイ人観光客がたくさんやってくる立地的な優位さもある。
渋谷さんはそもそも日本企業がミャンマーに進出することに反対なわけではない。「ミャンマー(のシルク産業)は開花しなければならない。そのためには良い物を作るだけでなく、欧米諸国や日本で認められるデザインとブランディングが鍵だ」と訴える。
渋谷さんが描くブランディング戦略はこうだ。まずはロンジー(伝統的な腰布)やドレスといった、ミャンマーのシルク製品に孔雀をデザインすること。「ミャンマー=孔雀」のイメージを植え付け、ミャンマーのイメージをおしゃれにするという。「ミャンマー人にとって孔雀は特別な存在。孔雀は太陽の象徴と昔から大切にされてきた」(渋谷さん)
渋谷さんがこう考えるのは、日本の寿司産業からヒントを得ている。1980~90年ごろから「日本=寿司」のイメージがつき始め、日本のブランド力に引っ張られる形で寿司の価値も向上した。ミャンマーのシルク製品に付加価値を付け、将来は売り出していければと夢を語る。