サッカー人気が近年著しいタイで8年にわたってプロサッカー選手として活躍する日本人がいる。バンコクを本拠地にするチャムチュリユナイテッドFCに所属する樋口大輝選手(34)だ。2011年以来、タイで4つのチームを渡り歩き、ほとんどのチームでレギュラーを張ってきた。2016年にはキャプテンとしてタイホンダFCをリーグ1部に昇格させた。樋口選手は「タイのサッカーの良さを伸ばしながら、日本の良さも伝えていきたい」と言う。
■念願のプロ選手に
樋口選手のサッカーキャリアは日本で始まった。2007年にJFL(現在のJリーグ3部)のガイナーレ鳥取に入団。その後、佐川印刷FC(JFL)に移籍した。佐川印刷では、社員選手として午前中にサッカーの練習、午後は印刷や用紙の箱詰めなどの社業に従事した。社員として給料とボーナスをもらいながら、選手としてプレー。引退後のセカンドキャリアも保証されていた。だがサッカー選手として評価されづらい社員選手の立場に疑問を感じていた。
2010年10月、樋口さんは次の移籍先が決まっていないにもかかわらず、佐川印刷に辞表を出した。「プロサッカー選手になる」という小さいころからの夢を叶えるためだ。
その時に声をかけてくれたのが、ガイナーレ鳥取時代の恩師でタイ人のヴィタヤ・ラオハルクさんだ。ガンバ大阪、バンコクバンク(当時タイリーグ1部のチーム)、タイ代表を率いたことのあるタイの名将は、樋口さんのサッカー選手としての能力と勤勉さを高く評価していた。樋口さんがチームを辞めたことを聞きつけ、タイ中部にあるチョンブリFCに樋口さんを誘った。チョンブリFCはタイリーグ1部に所属し、2011年からヴィタヤさんがヘッドコーチになる予定のチームだった。
修学旅行で中国に行って以来、海外に出たことがなかった樋口さん。チョンブリという、行ったことも聞いたこともない地でのサッカー選手としての挑戦。だが不思議と不安はなかった。夢にまで見たプロサッカー選手についになれる。樋口さんは希望に胸膨らまし、日本を発った。2010年の暮れだった。
■練習に来ない!?
プロ選手としてのキャリアをスタートさせた樋口選手。月給は10万バーツ(約30万円、2011年当時)。物価の安いタイで生活するには十分な金額だ。
ところが入団早々、日本とタイの文化の違いに直面する。選手が平気で練習に遅れたり、無断欠席したりするのだ。そのせいで開始時間が30分以上遅れることもあった。勤勉が美徳の日本と違い、実力さえあれば試合に出られるタイ。選手を練習に来させるために、練習に参加したらもらえる「練習給」というインセンティブがあることにも驚いた。
サッカーのスタイルも、日本で学んできたものとまったく違う。チーム戦術に対する意識が低い。特にディフェンスはひどかった。相手サイドバックが上がってきても、誰もフォローしない。ディフェンダーで、サイドバックが専門の樋口さんは困惑した。
タイでプレーした1年目のシーズン(2011年1月~2011年12月)は、言葉や文化、サッカーの違いに対応できなかった。タイ選手に指示を出そうにもタイ語がわからない。自己主張の強い外国人選手には英語で言い負かされる。納得のいくプレーができないまま、2011年のシーズンは終了。リーグ戦34試合中18試合の出場にとどまり、チョンブリFCとの契約を延長できなかった。
■月給85万円にアップ
せっかくプロ選手になったのに、クビになったからといって1年で日本には帰れない。樋口さんは、知り合いのコーチのつてで、タイ南部の街ソンクラーを本拠地にする1部リーグのソンクラーFCと契約。自分のサッカーをタイスタイルに適応させることを誓った。
まず力を入れたのがタイ語の習得だ。みんなで守るディフェンスでは言葉は欠かせない。幸いにも、バンコクから1000キロメートル離れたソンクラーのチームに日本人選手は樋口さんひとり。街にも日本人はほとんどいない。在籍2年で、日常生活からサッカーにかかわる議論までタイ語でできるようになった。
プレースタイルも変えた。フォワードが戻らないこと、中盤が抜かれることをあらかじめ想定し、常に最悪の状況に備える。日本にいた時以上に危機管理を徹底した。ディフェンダーだがシュートも積極的に狙うようになった。
日本人としての勤勉さも忘れない。練習後に苦手な左足のシュートを集中的に練習。リカバリーのためのジョグは今や日課だ。
タイのサッカーを受け入れた樋口さんは2012年以降、ほぼ毎試合フル出場するようになった。2014年にタイホンダFCに移籍。月給は28万バーツ(約85万円)に上がった。
上がったのは給料だけではない。中心選手として、2014年にはチームを3部から2部へ、2016年には2部から1部へと昇格させる原動力となった。スタッフやチームメイトからの信頼も勝ち取り、2015、2016年には日本人ながらチームキャプテンを任された。
■タイ選手を育てる
「日本とタイ、両方のサッカーを知ることが大切だ」と樋口さんは語る。日本のサッカーは規律がしっかりしている半面、ボールを失うことを恐れ、積極性に欠けるところがある。タイは、ディフェンスに脆さはあるものの、オフェンスは積極的で創造的。失敗してもどんどん攻め続け、それが状況を打開することも多くあるという。
樋口さんは2017年から、大学生の選手を中心とするチャムチュリユナイテッドFCで、選手兼コーチとしてプレーしながら若手選手を育てる。指導した選手の中には、タイ1部リーグの名門ムワントンに引き抜かれた選手もいる。
「若い世代には、サッカーが上手いだけでなく、多様性を受け入れながら目的を達成できるような人間になってほしい」。樋口さんはこう力強く話す。(つづく)