「自宅でも医療施設でも、どちらを選んでも安全に出産できるようにしたい」。そう話すのは、東京都武蔵野市に本部を置くNGOピープルズ・ホープ・ジャパン(PHJ)のミャンマー駐在員で、助産師の志田保子さんだ。PHJは2014年から、ミャンマーの首都ネピドーのタッコン地区で母子保健サービスを改善するプロジェクトを推進。ミャンマー政府は施設出産を勧めているが、タッコン地区の自宅出産の割合は46%であり、助産師介助による自宅出産は72%だ。この現状を踏まえ、PHJは産前健診の充実や助産師教育をするなどして自宅出産の安全性を高めてきた。
■住民総出で自宅出産
タッコン地区で2017年に志田さんが立ち会った自宅出産は、「ここまで手厚いサポートは見たことがない」と感動するほどだったという。近所の女性がたくさん集まり、妊婦をうちわで扇いだり、腰をさすったりして出産にスタンバイ。ミャンマーでは男性は出産に立ち会えないが、妊婦の夫はバッテリーを設置してライトや扇風機を置き、タオルの代わりにロンジー(ミャンマーの伝統的な腰布)をビリビリと破き、手を洗う水まで用意した。「井戸水しかないから、きれいかどうかはわからない。だけど水があるだけいい」と志田さんは話す。
2017年のデータによると、ミャンマーでは出産件数に占める「医師や助産師などの専門技能者が付き添う出産」の割合は71%だ。このことは自宅・医療施設のどちらでも、専門職が出産に付き添っていることを示す。タッコン地区は専門職の付添う率が85%と高いため、同地区の自宅出産の割合が46%と半数近いものの、助産師の介助を受ける自宅出産は72%と国と同レベルだ。
女性が自宅出産を選ぶ理由のひとつは、自宅出産での精神的な安心感もあるが、医療施設までのアクセスが悪いこと。タッコン地区ではまだまだ車をもつ人は少ないうえ、道路事情も良くない。タッコン地区の中心部からミニバイクや牛車を乗り継いで2時間以上かかる場所に暮らす家族もいるくらいだ。
PHJは2017年にタッコン地区の一次医療施設であるサブセンターに新しい分娩室を作り、医療機器や自家発電機を設置した。住民たちが自ら寄贈式を開くほど喜ばれた。ただサブセンターでの出産を希望する妊婦は、自宅からの距離がミニバイクで15~20分程度の比較的近くに住む女性にとどまっているという。
■産後の女性にターメリック
PHJは、安全に出産できる環境を作ることを目的に、タッコン地区の女性130人を「母子保健推進員」とするための教育に力を入れる。妊婦と助産師を引き合わせるのが役目だ。ミャンマーの農村部では出稼ぎにより出入りも激しく、妊婦であることが家族以外の人に知られないことがあるからだ。産前健診に1度も行かずに自宅出産する妊婦も多い。世界保健機関(WHO)が8回の産前健診を勧めるなか、健診に1度も行かないことは、ミャンマーの妊産婦死亡率が10万人中178人(日本は同5人)と高い割合である理由のひとつだ。
PHJはまた、助産師のスキルアップと助産師・母子保健推進員のチームワーク力の強化も目指す。勉強会や緊急時対応トレーニング、定期会議を行う。通常、妊婦に危険な兆候があれば、ネピドーの大きな病院に運ばれるため、タッコン地区の助産師らは緊急対応する経験はあまりない。しかし緊急時を想定したトレーニングのおかげで、妊婦の命を取り留めたこともある。自宅出産で大量出血した妊婦に対して、トレーニングを受けていた助産師1人が村人1人の手助けを得て対応できた。自宅に集まっていた多くの住民は血の多さに驚き、逃げてしまったという。
「出産はその地域の文化が根強く反映される」と志田さん。サブセンターでの出産では、ミャンマー人助産師の発案で通常1~2人のところを3人程度の家族の立ち会いを受け入れるほか、ミャンマーの習慣も尊重する。たとえばミャンマーでは妊婦の内診にはゴマ油を使い、産後の女性にはターメリック(カレーに使う黄色いスパイス)のにおいをかがせる。ターメリックは、産後の子宮にたまった老廃物の排せつを促すといわれるのだ。
自宅出産の良さと施設出産の良さの両方を認める志田さんの目標は、本人の望む出産体制を整えることだ。「自宅出産の良さは家族に見守られて子どもを産めること。医療施設でも衛生的でなければ意味がない。安全性さえ確保できれば、自宅出産には自宅出産の良いところがある。どの国も医療施設での出産を推奨しているけれど、自宅出産が本当に妊産婦死亡率や乳児死亡率に関係しているかというと、はっきりしたデータがあるわけではない」(志田さん)
バングラデシュでは約6割が自宅出産だが、世銀によると2000年の妊産婦死亡率が10万人中399人だったのに対し、2015年は176人へと6割近く減少した。