政府系ギャングから殺人予告を受けたベネズエラ人エリート、コロンビアへ逃れるも「仕事ない」

コロンビアでの生活を語るコントレラスさん(右)。2019年2月、コロンビア・メデジンで撮影

「コロンビアで約150社の求人に応募したが、仕事は決まらなかった。ベネズエラ人だからだ」。こう嘆くのは、ベネズエラ出身の男性ミゲル・コントレラスさん(31歳)だ。ハイパーインフレ(2019年2月は230万%)が続くベネズエラから2018年8月に逃れ、現在は、妻、妹、友人の4人でコロンビア第2の都市メデジンのコンドミニアムで暮らす。コントレラスさんはベネズエラトップの大学を卒業後、ベネズエラ第3の都市で、出身地でもあるバレンシアで運送業を経営する、いわゆるエリートだった。

■国民議会選挙に出馬も

コントレラスさんは2010年、首都カラカスのベネズエラ中央大学(UCV)物理学科を卒業した。在学中は、ベネズエラの将来を担うリーダーを育成する財団「ベネズエラ・アメリカ友好協会(AVAA)」の奨学生として米国に留学した経験ももつエリートだ。卒業後はバレンシアで、11万ボリバル(当時のレートで約170万円)の資本金と1台の30トントレーラーで運送会社を起業。病に倒れた父の代わりに、家族を支えていたという。

コントレラスさんが政治に不信を抱き始めたのは学生時代。2012~14年にカラカスでは昼夜問わずに連日、反政府デモが行われて、コントレラスさんも積極的に参加していた。2015年には国民議会選挙に出馬。落選したが、その後も、地元のバレンシアで反マドゥロ政権を掲げる組織に所属し、デモに加わっていた。エリートにもかかわらず、自分の経済的な利益よりも政治活動を優先する行動が評価され、ベネズエラの若者たちの間では「希望の星」として支持を得ていたという。

そんな彼のもとに2018年6月、武装化した政府系ギャング集団「コレクティーボ」から殺人予告が届く。「政治的な活動を辞めないと命の保証はない」と、ギャングのメンバーから電話が入ったのだ。

この電話で、コントレラスさんは身の危険を感じるように。体重は5キロほど減った。両親、弟たち、妻を残し、ベネズエラを去った。それ以外の選択肢はなかった。

■国民の11%が難民に

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、国外に逃れたベネズエラ人は2019年3月時点で340万人。総人口3000万の約11%にあたる。この多くが若者という。ベネズエラといえば10数年前まで「21世紀の社会主義」を実践しているとして、世界で注目されていた国だ。

ここまで多くの難民を出す理由は経済の破綻だ。国際通貨基金(IMF)は、2019年末までにベネズエラのインフレ率は1000万%に達すると予測する。マドゥロ政権は、海外からの支援の受け入れを拒否しているため、国内は食料や医薬品の不足はひどくなるいっぽう。国内で生活することが困難になり、近隣諸国、とりわけコロンビアへ逃れるベネズエラ人は後を絶たない。

2018年8月にベネズエラを出国したコントレラスさんはまず、空路で米国フロリダ州のオーランドに飛んだ。オーランドでは姉2人がベビーシッター、小学校の教師として働いていたからだ。「自分もオーランドで就職しようと思った」(コントレラスさん)

6カ月有効の観光ビザで滞在し、建設現場で1日12~14時間、ほぼ毎日働いた。だが滞在5カ月経っても、就労許可は下りなかった。就職は難しいと判断し、米国を去った。

■家賃さえ払えない

コントレラスさんが次に移住先として選んだのが、コロンビアだった。ベネズエラに残してきた妻(ベネズエラ人女性)と一緒に住むために、2019年1月、コロンビア第2の都市メデジンにやってきた。妻はすぐに、近くのレストランでウェイトレスの仕事を得た。

コントレラスさんは、コロンビアでは二度と肉体労働をしたくないと思った。実は、彼の母はコロンビア生まれのため、コントレラスさんはコロンビア国籍をもつ。コロンビアで就労する権利も当然保証されていることから、当初は「これまでの経験を生かし、自分が興味のある仕事に就きたい」との希望を抱いていた。

ところが現実は厳しかった。「(コロンビアの首都)ボゴタに到着してから1カ月半の間に、コロンビアの企業約150社に履歴書を送った。書類選考に通ったのは、そのうち1社。ベネズエラ人だと就職は厳しい」とコントレラスさんは打ちのめされる。

バイリンガルの人材を対象にした就職フェアにも参加した。「空席は1桁しかないのに、数千人が応募している状況。もともとコロンビア人を対象にしたポストが多いため、ベネズエラ人にとってはなおさら大変」と苦悩を語る。

コントレラスさんによると、メデジンで、就業経験をもつ大卒以上のコロンビア人の月収は200万ペソ(約7万1000円)、専門職系の管理職だと400万ペソ(約14万3000円)が相場。だがウェイトレスをする妻の月収はわずか95万ペソ(約3万4000円)。コントレラスさんは現在、妻や友人と4人暮らしだが、家賃は1カ月115万ペソ(約4万1000円)。唯一の稼ぎ手である妻の月収ではコンドミニアムの家賃もまかなえない。

一刻も早く生計を立てられる職を見つけたいコントレラスさん。だが「ベネズエラから出てしまうと、学歴も起業した経歴も、何の価値もないことに絶望感を覚える」と不安げだ。

■送金ビジネス立ち上げ

カトリックを信仰するコントレラスさんの人生のモットーは「隣人を助ける、支えること」。ベネズエラにいたころは、家族の生活を支えるために、運送会社を興し、成功した。日常生活でも、経済危機が深刻化して公共の交通機関が麻痺したときは、自分の車に、知りあいだけでなく、道端の困っている市民を乗せ、時間が許す限り、彼らを家まで送った。それが誇りであり、生き甲斐だった。

ところが難民となって国外に出て、思い通りにいかない現実に直面。周囲を助ける余裕はなくなってしまった。先行き不安な人生‥‥。

コントレラスさんには、前向きに生きるために、心の支えにしている言葉がある。「(家柄や貧富の差にかかわらず)若者は皆平等だ。常に夢をもち続けなさい」。これは、彼が尊敬するビジネスパーソンで、ベネズエラの老舗デパートチェーンBECOを創業したエルネスト・ブロムさんから直接言われた言葉だ。

ちなみにBECOは、米国・ベネズエラの企業の寄付をもとに運営するベネズエラ・アメリカ友好協会に資金を出す企業のひとつ。カラカス、マラカイボ、バレンシア、バルキシメトなどベネズエラを代表する都市で8つの大型デパートを展開する。

夢をもち続けろという言葉を胸にコントラレスさんは、新しいビジネスを立ち上げつつある。コロンビアに逃れたベネズエラ難民からベネズエラに住む家族への送金サービスだ。ニーズはある。「まだ2月に始めたばかりで、まだ会社として正式に登記していない。会社名もないけれど、生活に必要な収入を得たい」と前を見据える。

2015年の国民議会選挙に出馬したときのポスター

2015年の国民議会選挙に出馬したときのポスター

ベネズエラ・カラカスの若者に向けて、自身の経験を語るコントレラスさん(2018年、AVVAセミナー)

ベネズエラ・カラカスの若者に向け、自身の経験を語るコントレラスさん(2018年、ベネズエラ・アメリカ友好協会のセミナーで)

憧れのビジネスパーソンであるBECO創業者のブロムさん(写真中央)と対面するコントレラスさん(2018年)

憧れのビジネスパーソンであるBECO創業者のブロムさん(写真中央)と対面するコントレラスさん(2018年)