タイ・バンコクにある赤十字国際委員会(ICRC)には同団体唯一の「バーチャルリアリティー(VR)ユニット」がある。2014年に立ち上がったもので、これまでに、全世界のICRCスタッフが戦場で応急措置をするための訓練や、難民キャンプで使う照明の商品開発などに利用してきた。スイス出身のクリスチャン・ルーファーVRユニット長は「ICRCのスタッフが現場でより良い活動ができるよう、VRを積極的に使っていきたい」と話す。
■LEDランプの開発にも
VRを使ったICRCのプロジェクトはいろいろある。2018年に取り組んだのは38件。現在進行中のものは8件ある。
なかでもルーファー氏が力を入れるのは、国内避難民(IDP)キャンプをテーマとするプロジェクトだ。これは、ICRCのスタッフがVRを通して、IDPキャンプでの活動をシミュレーションするもの。爆撃をかわしながら、負傷した子どもを医師のもとまで運ぶ訓練などを体験できる。現在は試験運用の段階。英国赤十字のスタッフ数百人からフィードバックをもらっているところだ。
難民キャンプをテーマとするプロジェクトもある。照明の開発にVRを利用した。電気が通っていない難民キャンプではもともと、照明としてロウソクが使われていたが、作りが丈夫で長持ちする照明が必要とされていた。
そこでICRCは難民キャンプのようすが見られるVRソフトを制作。照明を開発するオランダの電気機器メーカー、フィリップスの社員が難民キャンプの状況を疑似体験できるようにした。これが奏功し、難民キャンプの実情により適したソーラー(太陽光)パワー対応のLEDランプを作ることに成功した。再充電は1000回まで可能。このLEDランプには携帯電話を充電したり、小型扇風機に電気を供給したりできるUSBインターフェースもついている。価格は8~10ドル(880~1100円)。
今後の目標についてルーファー氏は「市街戦を疑似体験できるVRソフトを途上国の政府関係者に配りたい。市民の犠牲を最小限に抑えるため、各国の軍隊の訓練に使ってほしい」と語る。
先進国の軍隊のなかにはすでに、VRを使ったトレーニングプログラムをもつところもある。だが途上国にとっては大きな金銭的な壁がある。「VRを導入するにはパソコン1台当たり年間で5000ドル(約55万円)のコストがかかる。だが紛争地をもつ国の軍にとって市街戦の訓練は必要。VRソフトを無料で提供したい」(ルーファー氏)
■きっかけは戦闘ゲーム
VRユニットをルーファー氏が立ち上げたきっかけは、2012年にICRCがチェコのゲーム会社ボヘミア・インタラクティブ(BI)と共同で「国際人道法の規制がある戦闘ゲーム(「ARMA 3 Laws of War DLC」)」を開発したことだという。
ゲームやVRなどの疑似体験を使って国際人道法を広める構想は、2011年11月にスイスのジュネーブで開催された第31回赤十字・赤新月国際会議でも議論された。だがこのときは決議や行動計画は採択されなかった。
「戦闘ゲームの開発を通じて、ゲームがもつ可能性を強く感じた。戦時の決まりごとを定めた国際人道法を、ビデオゲームを使って普及させたいと思った」と同氏は当時を振り返る。
2014年7月、ルーファー氏はVRユニットをタイにつくった。タイを選んだ理由は、ゲーム・エンジニアのコストが安いこととタイのICRC拠点がアジア太平洋のハブだということだ。
ただ苦労も絶えない。VRソフトの制作で難しいのは、質とコストの兼ね合いだ。質が高くないと成果につながらない。かといって予算には制約がある。
コストダウンの方策としてICRCは、ソフトの制作をゲーム会社に外注するのではなく、内製化している。自前で作れば、一度作成したマップ、アニメーション、3Dなどを使い回しでき、コストを大幅に削減できるからだ。IDPキャンプの訓練に使ったコンテンツも実際、フィリップスとのLEDランプ開発に使ったという。