【フィジーでBulaBula協力隊(8)】“失業者の楽園”でもハッピー? その理由は「法制度でないセーフティネット」にあり

「おい日本人。カバを飲もう」。仕事が終わって自宅へ帰る途中、私をいつも誘うフィジー人の男性がいる。この国の伝統的な飲み物カバ(ヤンゴナというコショウ科の木の根っこが原料)を勧めてくる彼は現在失業中。セカンダリースクール(日本の中学・高校に当たる)を卒業して、建材を扱う会社にいったん就職するが、すぐに退職。今は実家で家事を手伝っている。連載8回目はフィジーの失業問題を考えてみたい。

■仕事がないからカバパーティー!?

冒頭の無職の青年はまだ19歳。新しい仕事を探さないのか、と聞いてみたら「しばらくは家の仕事を手伝いながらゆっくりするよ。困ったらまたそのとき考える」と笑いながら答えた。失業中とは思えないくらい明るい。楽天家のフィジー人らしいなと私は苦笑したが、実は、彼が再就職するのはそう簡単ではない。

この国にはそもそも正規の働き口が少ない。国際労働財団2013によると、フィジーの2012年の失業率は8.6%(日本は4.3%)。とくに目立つのが若者の失業者で、働き盛りの若い男たちが平日の昼間から公園のベンチでカバパーティーをする姿はひんぱんに見かける。

公務員や、自立して生きていける賃金が得られる仕事に就くには、大学を卒業するか、職業訓練校で技術を身につけておくことが必須条件。だがそこまでの高い教育を受けられる人はフィジーではまだ一握りだ。となると、セカンダリースクール出の大多数の若者は、観光客向けの土産屋の店番か、レストランのウェイターなど低賃金の職を得るしか選択肢がない。

そんな仕事でも地元で見つかれば良いほうだ。仕事にありつけない場合は、首都スバや第二の都市ラウトカなど都市部で「住み込み」として働き、週末だけ実家に戻るという生活を送る。これ以外に、ニュージーランドやオーストラリアなど、賃金の高い周辺国へ出稼ぎに行き、フィジーの家族へ仕送りするケースもある。私の周囲だけでもこういった話をよく聞くことから推測すると、珍しい働き方ではないのだろう。

フィジーの失業率が高いのには訳がある。小さな島国ゆえに、マーケットもなく、また流通も孤立しているため、農業や漁業、観光など産業がどうしても限られてしまうことがひとつ。もうひとつは、フィジーは軍事政権下にあるので、政治リスクを嫌う外国企業は入ってきたがらず、経済が活発化しないからだ、と指摘する向きもある。

■失業手当や生保は必要なし?

失業者があぶれるとなると、必要なのは社会保障制度だ。ところがフィジーでは十分に整備されているとは言い難い。ハローワークのような公営の職業紹介所は一応ある。ただ地方支所はないから、失業者の大半を占める地方在住者は、職業紹介所を利用するのであれば、わざわざ都市部に出ていく必要がある。こうした事情から、この国の就活は、知人のつてを頼るか、新聞の求人欄をチェックするというのが一般的だ。

日本のように整備された失業手当や生活保護の制度はない。日本人の私からすれば「フィジー政府は何をやっているんだ」と声を上げたくなるところ。それでもフィジー人が悲観的にならず生きていけるのは、ポシティブな国民性に加えて、コミュニティがある意味、セーフティネットの代わりになっているからだ。

無職で収入がなくても、村に住んでいたり、家族と暮らしていれば生活の心配は無用。フィジー民族(フィジアン)は伝統的に大家族制で、とりわけ村は今でも全員が“身内”。困った人を助けるのは当然だから、誰かが食べ物を持ってきてくれる。

またフィジーは常夏の国。バナナやパパイヤ、ココナツの木がいたるところに生えている。こうした果物を食べれば餓死することはない。恵まれた自然環境が、仕事の有無を気にしない明るさをフィジー人に与えているのでは、と私は想像する。

■困ったら「ケレケレ」作戦

もし本当に困ったらどうするか。フィジーにはとっておきの「ケレケレ」という文化がある。

ケレケレとは、フィジー語で「お願い」(英語でいうプリーズ)というニュアンスに近い言葉。他人に何かをして欲しいときに「ケレケレ○○」と言う。頼まれた人は気持ち良くお願いに応じるのが、フィジー社会の暗黙のルールになっている。

フィジーの人たちはとにかくこのケレケレを乱用する。フィジー人は1日10回以上は“ケレケレしている”と私は思う。お金を含め何かを貸りるとき、車で町まで連れて行ってほしいときなど、この言葉は大活躍する。これ以外には、他人に迷惑をかけてしまったときに「申し訳なかった」という意味で使うこともある。

ケレケレ文化の掟では、失業者に「一晩泊めさせてくれ」と頼まれたら、ノーとは言えない。お願いを断るのは非礼だからだ。ちなみにこのケレケレ、身分の差には関係なく使われている。

世界から毎年60万人の観光客を受け入れる“南の島の楽園”には、実は失業者があふれかえっているという現実。でも不思議なことに、失業者たちはびっくりするほど明るいし、またフィジー国民はフィジーのことが大好きだ。「フィジー」とロゴが入ったTシャツを着たり、車にフィジー国旗をペイントしたり、腕に国歌の歌詞をタトゥーで入れたり――。

セーフティネットの法制度が不十分でも“セーフティネットを担保する文化”さえ機能していれば、失業なんて大した問題ではないのかもしれない。自分の国を深く愛せるというのは本当に素晴らしいこと。経済的なモノサシでいえば恵まれている日本を離れておよそ半年、私は今、孤独死もない、ストレスも少ない“発展途上の国”フィジーの人たちを羨むというなんとも不思議な気分を味わっている。(高野光輝)