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ガーナ人はサッカーが大好きだ。「ガーナにはサッカー監督が2200万人いる」と言われるくらい、国民のほとんどがサッカー観戦に熱くなる。2013年10月には、サッカーFIFAワールドカップ(W杯)ブラジル大会のアフリカ最終予選が開催され、ガーナの代表チーム「ブラック・スターズ」が6対1でエジプトに勝利した時は、国中で大騒ぎだった。残念ながら今回のW杯では敗退してしまったが、ブラック・スターズの試合日には毎回かなり盛り上がっていた。今回は首都アクラから、その様子をお届けする。
◼ 仕事もサボってサッカー観戦!?
ブラック・スターズの試合日には、ガーナ人はみな仕事どころではなくなってしまう。試合開始の数時間前になると多くの人はソワソワし出し、家路を急ぐ。試合時間になると、バスやタクシーの運行量が減り、店員は作業をやめる。みな自宅やチョップ・バー(ローカルな食事処)、大型テレビの設置された広場などに集まって、ブラック・スターズの応援に徹している。
「ブラック・スターズが勝つに決まってるだろう!今回の対戦相手(アメリカ、ドイツ、ボルトガル)は手強いけど、なんとか乗り切れるはずさ。俺たちの応援があるからね」。街角やバスの中で人々にW杯の話題を振ってみると、ほとんどの人がこのように熱く語ってくれた。W杯期間中は、いたるところでW杯にちなんだ商品が売り出され、路上の物売りたちもW杯グッズを売り歩く。経済効果もありそうだ。
◼ アフリカ杯では4回優勝!ブラック・スターズは「アフリカの誇り」
ブラック・スターズのW杯出場歴はまだ浅く、初出場は2006年ドイツ大会とつい最近だ。にもかかわらず、この大会でガーナはなんと決勝トーナメントに進出。続く2010年南アフリカ大会でも、アフリカから出場した5カ国のうち、唯一ガーナだけがグループステージを突破し、ベスト8入りを果たした。
1957年から開催されているアフリカ杯には1962年大会から参加しており、これまで4回優勝を飾っている。これは7回優勝のエジプトに続く実績だ。
「ブラック・スターズはアフリカ一のチームさ!」と、タクシーの運転手は笑顔で言う。このような輝かしい実績を持つブラック・スターズは、その名の通り「アフリカの輝く星」として、ガーナ人だけでなくアフリカ人にとって誇らしい存在なのだ。
ただ、ブラック・スターズを誇りに思うぶん、敗退してしまった時の落胆ぶりは激しい。試合中には嵐のように盛り上がっていた街が、試合終了後にはまるでゴーストタウンのように静まり返る。「ブラック・スターズ、負けてしまいましたね」とバスで隣に座っていた男性に話しかけると、「その話は今はしたくない」と心底落ち込んだ表情を見せた。
◼ サッカー熱は「自由」を誇る気持ちの現れ?
ガーナサッカー協会によると、ガーナでサッカーが最初に始まったのは、植民地化以前の1880〜90年代のこと。当時寄港したヨーロッパの商人たちが余暇で楽しんでいたのが、現地の人々にも広まったのだそうだ。1903年には、ケープコースト(セントラル州の州都)でガーナ初のチームとなる「エクセルシオール」をイギリス人が設立、その後各地にチームが結成されていった。
このように西洋から持ち込まれたサッカーだが、その後はガーナの歴史、社会に様々な影響を与え、現地にしっかりと根付いていく。ガーナの初代国家元首クワメ・エンクルマは、イギリスからの植民地独立運動にサッカーを利用した。サッカーを「アフリカ統合(パン・アフリカニズム)」のシンボルとして掲げることで、国民のナショナリズムを高め、宗主国イギリスに立ち向かおうとしたのだ。
ガーナ人がサッカーに熱くなる背景には、このような苦闘の中で勝ち取った「自由」を誇る気持ちがあるのではないだろうか。6月17日、ブラック・スターズのW杯初試合(対戦相手はアメリカ)で、ことあるごとに立ち上がって歓声を上げ、熱く応援するガーナ人たちを見ながら、私はそんなふうに考えていた。(矢達侑子)