小学校のダンス発表会に招待された。そこで多くの観客に囲まれ舞台で発表するのは女の子ばかり。男子生徒の姿は見当たらない。この現象、別の日の発表会でも同じだった。不思議に思い、配属先の市役所の同僚(20代女性)に聞いてみると「そんな風に人前に出て発表するのも、勉強面でも、女の子の方が秀でているわ。男は何もしないもの!」。彼女の言葉にちょっと唖然としてしまった。
この同僚はさらに続けて、女性の方が男性よりもあらゆる面で積極的で聡明。男性は家でも何もしない、と切り捨てた。確かに、私の任地のNGO団体や観光省のメンバーを見てみても8割強は女性で構成されている。彼女らの懸命に働く姿を見て、「女性が活躍する場が多いな」というのが最初の印象だった。
実は、ドミニカ共和国には「マチスタ」と呼ばれる男尊女卑の社会的風習が伝統的に存在し、「男は強いものだ」「女性は男性に尽くすもの」という考えが横行していた。現在はその傾向は、少なくとも仕事面では無くなったといわれているが、同時に、彼らの家庭生活の面ではまだまだ根強く残っているようにも感じる。家のことは全て女性に任せ、何も協力せずにタブレットでゲームばかりしている男性。女性たちも男性達をまるで子どものように扱い、甘えて来る男性たちを文句も言わずに受け入れているような印象だ。勿論、全ての家庭がそうだとは限らないが、この国で暮らしてきた1年余、多くの家庭でその傾向を感じた。
ある日、12歳の女の子に聞く機会があった。「この国は女性の方が男性よりも積極的で、よく働くの?」。すると、「もちろんよ、男は勉強もしないしお酒を飲んで踊って女性を口説いてばかり。女性はその間に黙って働いて、学んで賢くなったのよ」。普段は口にしないが、年代を問わずこの国の男性に対する女性の考えは共通していることが分かった。
男尊女卑の時代を生き抜いてきた強さやしたたかさと、男性を笑顔で受容する寛容さ。ドミニカ人女性の芯の強さは日常生活の様々な場面でよく見られる。しかし、その一方で、完璧に役割をこなす女性達が存在すること自体が、逆に男性を萎縮させ、結果、さらに消極的で何もしない怠け者の男性を生み出すことになっているとも考えられる。
積極的に社会進出をするドミニカ人女性は見ていて気持ちがいい。しかし、彼女らが言う「女性は家事も仕事も完璧にできて当たり前」という風潮は少し生きにくいと感じてしまうのは、私が単に家事が苦手なせいではなく、このような潜在的矛盾があるためかもしれない。(種中 恵)