エジプト・カイロには、カイロ中のごみが運び込まれ、それをリサイクルする街がある。住民のほとんどは、エジプトでは少数派のコプト教徒。ピラミッドがエジプトの表の顔だとすれば、“ごみの街”は完全に裏の顔。外国人は誰も知らない。この街の住民に強く魅かれた私が見聞きした内情を連載でつづっていきたい。
■ごみ山ではない!
ごみを積んだトラックが次から次に狭い道を通り抜けていく。ここはカイロの中心部から車で20分。コプト教徒が集まる街マンシェット・ナセルだ。
「すごいごみの量‥‥」。私はこの街に初めて足を踏み入れた瞬間、思わずつぶやいた。と同時に、不思議な感覚に陥った。
世界に「ごみ山」はたくさんある。私も15年前、フィリピン・マニラのごみ山に行った。
だがマンシェット・ナセルはごみ山ではない。4~5階建てのアパートが建ち並ぶ街だ。なのに、ペットボトルや空き缶、空き瓶、残飯など、ありとあらゆる生活ごみが入ってくる。見渡すと、アパートの屋上や3、4階にまでごみがドサッと置かれている。
マニラのごみ山との大きな違いは、この街の住民はトラックやロバ車を所有し、カイロ中から自らごみを集め、それを持ち込み、リサイクルすることだ。紙やペットボトルを破砕したり、圧縮したりする機械を備える小さな工場まである。
驚くことに、マンシェット・ナセルの住民は、ごみの収集・運搬から処理(リサイクル)までの静脈産業を一手に担っていた。巨大なリサイクルタウン。マンシェット・ナセルを一言で表すのなら、この呼び方がぴったりな、世界でも稀な場所だった。
■映画の主人公と出会う
マンシェット・ナセルのことを初めて知ったのは約1年半前。グラフィティーアートや美しい洞窟のコプト教会がある、と日本人から聞いたからだ。
私はさっそく、数人の青年海外協力隊員と一緒に訪ねてみた。グラフィティーアートも、洞窟教会も、ごみの街に似つかわしくないぐらいインスタ映えする。マンシェット・ナセルがごみの街でなければおそらくガイドブックで紹介され、世界中の観光客が集まる一大観光スポットになっていただろう。
興味本意で訪れた私は、景色の美しさとごみの汚さのギャップに強く魅かれた。この街を歩くときに声をかけてくれる子どもたちのことも気になった。
家に戻ってから私は、マンシェット・ナセルのことをインターネットで調べた。この街の住民にフォーカスしたドキュメンタリー映画「Garbage Dreams」(2008年公開)があることを知り、隊員仲間と一緒に見た。
マンシェット・ナセルを2回目に訪れたとき、この映画に出ていた、教育科学文化機関(UNESCO)の支援を受けて立ち上がったコミュニティースクール「リサイクリングスクール」をたまたま発見。また奇跡的に、映画の主人公で、マンシェット・ナセルで生まれ育ったアダムさんとも出会った。
映画で18歳だったアダムさんは31歳の好青年になっていた。仕事はマンシェット・ナセルにやってきたNGOやメディアのアテンドをすること。そのかたわら地元の大学に通う。学校教育をまともに受けてこなかった彼は、映画に出演した後、アメリカへ語学留学するチャンスをつかんだ。いまや流暢な英語を話す。
私たちはアダムさんと仲良くなった。私たち青年海外協力隊員はその後、リサイクリングスクールに毎週1回行き、アートセラピーをベースにしたワークショップをしたり、折り紙などの日本文化を教えたり、ソーラン節を踊ったり、とボランティア活動をすることになる(詳しくは次回の連載で)。
アダムさんとの出会いが私たちをマンシェット・ナセルに引き入れたのだ。
■ウーバーも行かない
私たちはアダムさんからこの街のいろんなことを教わった。マンシェット・ナセルの起源は、エジプト南部にいたコプト教徒たちが1920~30年代、より良い生活を求めてカイロに移住してきたこと。最初は、生ごみを家畜の豚に食べさせていたが、1970年ごろからカイロのごみを収集し、お金を稼ぐようになったことなどだ。コプト教徒は、イスラム教を信奉していないので、豚を飼い、豚肉も食べる。
一般のエジプト人はマンシェット・ナセルをどう見ているのか。日本語通訳の仕事をするハイサムさん(33歳)は「ごみの街ということは知っていた。実際に行くまでは危険な場所というイメージがあった」と話す。ウーバーの運転手の多くは実際、マンシェット・ナセルに行きたがらない。エジプト人の大半はこの街に入ったことがないのが現実だ。
マンシェット・ナセルの人たちを一般のエジプト人たちは「ザッバリーン」(アラビア語でごみ収集人)と呼ぶ。この言葉には蔑むニュアンスがある。
エジプト人の多くは、清掃の仕事は教養がない貧困層がやるものと考える。だから日本の学校のように掃除の時間もないし、平気でポイ捨てもする。自ら掃除をするなんて自分たちのプライドが許さないのだ。
そうした事情を見て育ったアダムさんは言う。「ザッバリーンたちにはぜひ誇りをもってほしい。カイロのごみはザッバリーンなしに処理できないのだから」。こう話すアダムさんの親もザッパリーンだった。
マンシェット・ナセルで生まれた子どもたちは毎日、何を見て、どんな人生を歩んでいくのだろう。青年海外協力隊員としてエジプトに来たからには、ただの通りすがりでは見られない何かを感じたい。ピラミッドだけでないエジプトのことをもっと知りたいという欲求が私たちを突き動かす。(続く)