イラクの赤十字国際委員会(ICRC)バスラ事務所の阿部真・前所長(34)が先ごろ、ICRCと上智大学が都内で共同主催したセミナーに登壇し、「イスラム国(IS)との戦闘の終結が宣言されて2年。支援を必要とする人々はいまだ残されている。戦闘の終結は、(住民にとっては)紛争の終わりではない」と訴えた。
ISとの戦闘の終結をイラクのハイダル・アバディ首相(当時)が宣言したのが2017年12月。それまでにイラク国内で自分の家を追われた国内避難民の数は最も多かったときで約600万人に達した。阿部氏によると、435万人が元々住んでいたところに戻ったため、現在は165万人という。
だが帰還しても以前の生活ができるケースは稀だ。家が壊されて住めなかったり、自分が経営していた店が壊されたために商売ができなかったりするからだ。放置されていた畑が使い物にならず、頭を抱える農民も。
阿部氏は「戦闘があるときはニュースになる。だが戦闘が終わると、平和が訪れ、すべて解決というイメージになりがちだ。実際は、紛争の被害を受けた人たちはとり残されている」と話す。
■被拘束者と家族を「手紙」でつなぐ
ICRCバスラ事務所がイラクで手がける支援は、生活の自立支援、医療、リハビリ、刑務所訪問、不発弾に対する教育などだ。
なかでも力を入れるのは「刑務所訪問」。「紛争にかかわったという理由で逮捕された人たちは、国家の『敵』として扱われる。殺人や窃盗で服役する人たちより、権利が脅かされやすい」(阿部氏)からだ。2019年の1~9月にICRCのスタッフが訪問したのは、イラク国内の71刑務所。被拘束者の居住環境は問題ないか、拷問など不当な扱いを受けていないかなどを確認した。
ICRCがとくに重視するのは、被拘束者が家族とコンタクトをとれるようにすること。被拘束者と家族が手紙を交換できるよう、ICRCは手助けする。
家族の消息を確認しあうことは、孤立感や先行きの不安を和らげることにつながる。家族と面会する権利は国際法が保障する。ところがそれができない状況にいる被拘束者は多いという。
難しいのは、英国やフランスなど欧州出身の外国人の元戦闘員だ。ビザが取りにくいことや、距離が遠いために家族が刑務所に来られない場合が多い。またイラク人の中でも、スンニ派の家族が、敵対するシーア派のエリアにある刑務所に行くのは危険だ。
通信のやり方はこうだ。ICRCのスタッフが刑務所を訪問した際、家族にあてた手紙を被拘束者に書いてもらう。ICRCのスタッフがそれを預かる。手紙はすべて、看守がチェック。チェック済みの手紙を世界各国に住む家族に届けるのがICRCの活動だ。
そこで生かされるのが、80カ国以上に100以上の拠点をもつICRCのネットワーク。2019年1~9月で約7000人の被拘束者とその家族の通信を仲介した。
「外国人の元戦闘員にとっては、ICRCが届けるメッセージが唯一の連絡手段。死んでいたと思った身内から家族が手紙を受け取るのは感慨深いようだ」(阿部氏)
■砂漠は“不発弾の山”
不発弾による被害を減らす活動も、ICRCの重要な活動のひとつ。1980年に勃発したイラン・イラク戦争から40年に及ぶ紛争で埋められた不発弾による被害はいまだになくならない。
ICRCが主に手がけるのは、不発弾の危険性を理解してもらう教育だ。対象は子どもと遊牧民。被害が多い場所で人を集め、パワーポイントや紙芝居を使って、不発弾がどんなものか、不発弾がどこにあるかなどの情報を伝える。
多くの子どもは不発弾についての知識がない。好奇心から地面で見つけたものはすぐに拾ってしまい、被害にあうケースも多いという。とりわけ不発弾の中でも多い地雷は、爆発すると爆風が上に向かって噴き上げる。大人は足の負傷で済んでも、小さな子どもは命を落としてしまう。
遊牧民にも教育が必要だという。阿部氏は「家畜に食べさせる草を求めて砂漠を移動しながら生活する。新しい土地のどこに不発弾が埋まっているか、知識がないからだ」と説明する。ICRCは、イラク政府と協力して、不発弾が埋まるところに「注意を促す標識」を立てている。
だが標識や教育だけで目に見える効果を出すのは難しいのが現実だ。遊牧民だけでなく、不発弾があるとわかっていても「生計を立てるために砂漠へ行く人たちはいる。行くなというだけでは、被害はなくならない」(阿部氏)。
砂漠へ行く人の目的は、埋まっている鉄や、雨季になると生えるマッシュルームを手に入れることだ。被害者の中には、それらを売って生活している人もいる。そうしなければ生きていけないのだ。
そのためICRCは、起業からリハビリまでの包括的なバックアップも欠かさない。砂漠に行かなくても生計を立てられるようビジネスを立ち上げるための資金を援助。不発弾の被害にあった人が適切な治療やリハビリを受けられるよう公共の病院やリハビリセンターに通えるようにする。
不発弾の被害が多いのは、ISが支配していたイラク北部の都市モスルとその付近。「高度な爆弾のため、通常の地雷よりも解体するのが難しいのが問題だ」と阿部氏は危惧する。
不発弾は、ISが使っていたものだけではない。1980年から9年続いたイラン・イラク戦争や1991年の湾岸戦争で米国が落とした不発弾も砂漠の中に埋まっている。雨が降ると流されて露呈し、被害を生む。「去年(2018年)の冬は雨が多かった。流された不発弾で少なくとも30人が死亡した。何十年も前の不発弾がいまだに被害を生み続けている」(阿部氏)