インド西部の大都市ムンバイで現地採用として薄給で働く私。ピザを食べて抜けてしまった差し歯をインプラントにしようと、地元のクリニックへ行きました(前回までの話)。担当医は、しぐさが豪快でジャイアンみたいなインド人女医。インプラント手術の際に私が経験したてんやわんやの大騒ぎを今回はお伝えします。
■なにごと!? オペ室に緊張走る
女医の治療はとにかくスピーディー。差し歯が折れた日の5日後にはインプラントのネジを歯茎に埋め込む手術をしてくれました。これが日本だとおそらく初診は診るだけ。CT(コンピュータ断層撮影)を翌週撮って、手術はさらに1週間後からになるかもしれません。
驚いたのは、麻酔の注射を歯茎にいきなりガシガシぶっ刺すとか、患部を洗う水しぶきがプシューっと足まで飛び散るとか、といったこと。ですがインドに慣れてしまった今の私にとって、ここまでは“大きな問題”ではありませんでした。むしろ“ほほえましいおおざっぱさ”という感じ。
女医に悪気はありません。何も気にしていないだけ。必要なら「痛い」とストレートに伝えれば大丈夫。まあいつも「オー、ソーリー」で済まされますが。
こう悠長に構えていた矢先、アクシデントが起きました。歯茎にネジを埋め込もうとドリルで削っていたさなか、「キュインッ!」と突然、甲高い金属音がしたのです。ドリルが外れました。
「なにごと!?」。オペ室は一時、騒然となりました。緊迫した雰囲気のなか、「すぐ戻るわ!」と女医が出ていきます。
オペ室に残されたのは私と女性スタッフ3人。スタッフ同士の会話はヒンディー語なので、私はちんぷんかんぷん。
私は心のなかで呟きました。
何が起きているのだろう。大枚(6万ルピー=約9万円)をせっかくはたいたのに、やっぱりインプラントできないのかな。大病院を紹介するとか、面倒なことになったらどうしよう。職場の人の紹介だから信頼していたのに、“インディアン・クオリティー”ってこういうことなのかな。やめとけばよかったかなー。ぐすん。
「何かあったの?」とスタッフに恐る恐る聞くと、「ノー! 何もないよ」と謎のスマイル。ただいつになっても女医は戻ってきません。私の不安は募る一方です。
私の心の声を知ってか、スタッフは和やかな雰囲気をつくり、話しかけ続けてくれます。
「日本に息子さんを残しているの?」
「そうなの。大学生よ」
「息子さんの歯は丈夫なの?」
「丈夫よ。知っている? 日本では、乳歯を屋根の上や床の下に投げる風習があるの。だけど私はあんまりやらなかったの」
「なんで?」
「シングルマザーで忙しかったから。ついつい忘れちゃって。いまだに息子の乳歯は瓶詰めにして家に置いてあるよ」
「えー! こわーい!」
インプラントの手術は結局、中止になり、私はいったん家に帰りました。けれども私にとっては、むしろ楽しいひとときを過ごせました。これぞ、“インディアン・ホスピタリティ”か。
■痛い! 追加で6万6000円
インプラントの手術ができなかった理由は、実は私のせいでした(インドの皆さん、ごめんなさい!)。日本で20年ぐらい前に歯神経を除去したとき、その跡に金属を入れていたのです。私はすっかり忘れていました。事前のCT検査でもわからなかったため、ドリルが金属にぶつかってしまったという始末。
翌日、女医の上司である男性医師がやってきました。ポータブルCTでちょくちょく術部を確認しながら、金属片を除去。続いて、あごの骨をグリグリし、チタン合金でできた1センチくらいのネジ(人工歯根)を埋め込んでいきます。
局部麻酔がきちんと効いているので痛くはありません。ただ振動がガンガン骨に響くので怖くて怖くて。本当は15分で終わるところ、40分ほどかかりました。なにはともあれ成功。
あとは、骨が安定するまで3カ月待って、ネジに人工の歯をかぶせるだけ。新しい口元が完成するのが待ち遠しいです。
ところがです。今度は支払いの面で問題が起きました。
手術をする前の話では、費用は、インプラント2本1セットで6万ルピー(約9万円)。この金額をクレジットカードで払った後は、クリニックに何回行っても、何をしても追加料金はかかりませんでした。私はてっきり、この金額はすべてコミコミなのだと思い込んでいました。
ですがある日、私は女医から、寝耳に水な追加料金を請求されました。
その額は、前歯の人工歯が1本1万ルピー(約1万4000円)、奥歯が1本6000ルピー(約8600円)。値段の違いは材質の違いです。前歯は見た目の良いオールセラミック、奥歯は強度優先の金属を含むセラミックです。
これに加えて、私の場合は前歯4本が汚い(古い治療跡が目立つのと歯並びが悪い)ので、4本まとめて削って人工歯(歯の中心部は残す)を被せたほうが絶対良い、とスマイルデザイナー(審美矯正歯科医のこと)でもある女医が強く勧めてきたのです。女医は、きのう直したというボリウッド(インド映画)スターの審美治療の「前」と「後」の写真を私に見せながら力説。半ば言いくるめられる形で、私は気づいたらオーケーしていました。
結果、奥歯の6000ルピー(約8600円)と前歯4本で4万ルピー(約5万7000円)で、追加料金の合計は4万6000ルピー(約6万6000円)。1カ月の給料(手取りで約7万ルピー=約11万円)の7割近くが吹っ飛んでしまいました。痛い出費です(手術そのものは痛くなかったと喜んでいたのに!)。
「最初に言ったわよね?」と女医。
「えええー? 聞いてない!」と私。
だけど、ひょっとすると、本当は言われていたかもしれません(インドの皆さん、すみません!)。私は当時インドに住み始めたばかりで、インド英語がうまく聞き取れなかったのです。何事も書面を残さないクリニックなので、こういうことも起きやすいかも。要注意。
思わぬ追加出費とはいえ、日本で同じことをするのなら人工歯は1本10万~20万円といわれます。インドのほうが断然お得です。
「決まりね、オーケー! これであなたもパーフェクトなスマイルを手に入れられるのよ! ワッハッハ」。相変わらず豪快なジャイアン女医は嬉しそうでした。
■私の歯にもコロナショック
人工歯根を入れてからは1~2週間に1回、経過を見るためだけに通院しました。
通院中は、女医からまめに、ワッツアップ(日本のLINEに相当するアプリ)を使って連絡がありました。日中でも夜の遅い時間でも、まるで親しい友人のように、「具合いはどう?」「薬はのんでる?」。最初はそのノリに驚きましたが、営業の一環なのか、それとも人懐こい国民性によるものなのか、いずれにしろ患者にとっては安心なサービスです。インドでは医者と患者がワッツアップで直接やりとりするのは珍しくありません。
さて待望の3カ月が経ち、「では次回、人工歯を乗せて終わりにしましょう!」と女医に言われた私。予約をばっちり入れ、喜び勇んで帰宅しました。
「はー、長かったなー」と安堵していた矢先、今度はコロナ騒動です。インド全土に外出禁止令が出され、ムンバイも3月25日からロックダウン(封鎖)に。
私の治療は当然、中断したまま。歯茎からはネジが飛び出したまま。戸惑う私に女医は「また連絡するから。お大事にね。バーイ!」と陽気なメッセージを送ってきます。
「他人事だと思ってないか!」と心の中で叫ぶ私。コロナショックがまさか私の歯にまで影響するなんて。笑うしかなさそうです。ハッハッハ。