【元尼さんの新卒ミャンマー物語(1)】お寺の修行生活はスマホ・恋バナ・脱走あり?!

ピンクの袈裟を羽織っているのが出家の修行者。白のブラウスに焦げ茶の巻きスカートが在家の修行者の服装だ。出家者は剃髪し、遵守すべき戒律の数が在家者よりも多い。在家者は髪を剃る必要がない。筆者は今回、在家として修業した

「見回りのお坊さんがいるから、座禅はさぼっちゃダメだよ」「最初から瞑想ホールに行かなきゃ、お坊さんにバレないよ。人もたくさんいるし、わからないって」

ここはミャンマー第3の都市のモーラミャインの郊外にあるタウンワイン・カレイ寺院。2019年のミャンマー正月(ティンジャン)に1週間ほど私がかつて修行したところだ。私は当時、ミャンマー南東部のパアン(カレン州の州都)の日本語学校で日本語を教えるボランティアをしていて、そこの女子生徒たちと一緒にやって来たのだ。

冒頭の会話は、修行2日目に私が耳にした、生徒たち同士のやりとり。徳を積むためにマジメな修行をするのだろうと想像していた私は、修行のラフさ加減にちょっと拍子抜けした。

■修行なの? 旅行なの?

寺の一日は朝4時から始まる。セヤド(高僧)の説法の時間が朝6時と昼の2時からの2回。2時間程度ずつ。食事は朝5時と朝10時の2回だ。それ以外のほとんどの時間(およそ7時間)は、座って瞑想する「座禅」と歩きながら瞑想する「歩行瞑想」をして過ごす、というのがこの寺の決まりだった。

寺に着いて、さあ修行を始めようと思った午後2時ごろ、瞑想ホールに向かう私を女子生徒のひとりが呼び止めた。

「もう座禅しに行くの? 昼寝しないの?」

「えっ?」と私。

宿舎の壁に貼ってあるスケジュール表を見れば、いまは座禅タイム。けれども女子生徒ふたりは、床に敷いたござの上に寝そべり、スマホを眺めている。もうひとりの生徒はなんと、家から持ってきたお菓子やジュースを床に並べ始めた。まるでピクニック気分だ。

どうやら寺のスケジュール表は「目安」に過ぎないらしい。戒律さえ守っていれば、あとは個人の自由。なんて放任主義なんだ、と私は思った。ミャンマー人の考える仏教がますますわからなくなってきた。

女子生徒たちはその後も、家族や友人、恋人に延々と電話し続ける。ときには画面越しで見つめ合いながら。

そんなこんなで消灯時間の夜10時が迫ってきた。でもだれも寝ない。ついに恋バナが始まった。

「彼氏はいるの?」「好きなタイプは?」「彼氏の写真、見せてよ!」「イケメンじゃないの!」

気が付くと私も、修行中であることを忘れ、恋バナに喜んで加わっていた。われながら不覚。「彼女たちに惑わされてしまった」と、とりあえず他人のせいにする私。やっぱり修行が足りません!

私たちの向かいの部屋には3人の家族連れがいた。だから恋バナは小声で、だけど夜中の12時ぐらいまで盛り上がった。

私の記念すべき修行1日目はこうした終わった。高校の修学旅行で行った9年前の鹿児島の夜を思い出した。

■説法を聞きながら鼻をほじる?

「電話しすぎて、スマホの充電がなくなった。コードを忘れたから、街に出て買ってくる」

3日目にして、一緒に修行に来た生徒がこう言った。

「えっ、そこまでするの」と私は思ったが、彼女は「ほかにも抜け出している人いるし、大丈夫だって」と言い残し、夕方に脱走した。空腹のピークを越した夜7時ごろ、満面の笑みを浮かべながら彼女は帰ってきた。コードを片手にしっかり持って。電話とフェイスブックさえできれば、夕食なんかなくても大丈夫と言いたげだった。

ここまで読んだ方はおそらく、ミャンマーの寺での修行はなんて適当なんだと思ったかもしれない。ただ彼女たちの名誉のために言うと、お経を読むときは驚くほどマジメになる。

タウンワイン・カレイ寺院では朝の6時と昼の2時に、修行者全員が瞑想ホールに集まる。私が修行していたときは女性150人以上、普段は別の建物で瞑想する男性たち30人ぐらいの合計180人以上はいた。

外国人はほぼいない。ミャンマー人の親子連れが圧倒的に多かった。また、3、4人のおばあちゃんグループもいくつかあった。子どもはほとんどが尼さんかお坊さんの出家スタイル。大人たちは、髪を剃らない在家スタイルが多かった。

「朝ごはんはおいしかったですか?」。セヤドの説法は世間話から始まる。その後、読経と説法をパーリ語とビルマ語で繰り返す。読経は全員で唱える。ミャンマーでは小学校から高校まで毎朝朝礼で読経しているから、ほとんど暗記しているのだ。同行した生徒たちもしっかり唱えていた。初めて彼女たちが仏教徒に見えた瞬間だった。

問題(読経が楽しいとすればだが)は説法だ。2時間と長丁場。サッカーのハーフタイムのように休憩もない。

集中力が欠けてくるのは自然の摂理。あぐらをかいたまま前に体を倒し、寝てしまった子ども、何度も足を組み替える大人、鼻をほじっている人までいた。

「ちょっと話、長いよね、眠くなっちゃった。あなたも最後のほう寝てたでしょ?」。説法が終わったあと、私と一緒に行った生徒のひとりがボソッと漏らした。まるで退屈な授業の後の同級生との会話。しかも私も寝てしまっていたのはしっかりバレていた。他人のことは言えない。

寺で修行中、携帯を片時も手放せないミャンマー人。修行するのに一番人気な時期は4月中旬のティンジャンの最中。多くの人が遊んでいる間に、あえて修行することでより高い徳を積めると考えるのだ。2020年は新型コロナウイルスの影響で、ほとんどの寺が修行する人の受け入れをストップした

寺で修行中、携帯を片時も手放せないミャンマー人。修行するのに一番人気な時期は4月中旬のティンジャンの最中。多くの人が遊んでいる間に、あえて修行することでより高い徳を積めると考えるのだ。2020年は新型コロナウイルスの影響で、ほとんどの寺が修行する人の受け入れをストップした

■瞑想中に居眠りしてもやさしい

長くて眠い説法から解放されると、待望の自由時間がやってくる。スケジュール表には「座禅と歩行瞑想をする」とあるが、目安なのは初日に学習済みだ。

ほとんどの修行者は宿舎に戻って水浴びをしたり、昼寝をしたり、フェイスブックをチェックしたり、電話をしたりする。

もちろん、瞑想する人もいる。宿舎にはエアコンがないため、とりわけ2時ごろは、より涼しい瞑想ホールに人が集まってくる。瞑想ホールはエアコン、停電したとき用のディーゼルジェネレーター(自家発電機)、扇風機を完備しているからだ。ティンジャンの期間の気温は日中40度近い。クーラーのない今の私の住まい(ヤンゴンのアパート)よりも、瞑想ホールのほうがはるかに快適だ。

この寺は、「ヴァイパッサナー瞑想法」を世界中に広めたマハーシ長老の教えを継承する「マハーシ僧院」のひとつだ。

ヴァイパッサナー瞑想法とは、呼吸や歩く行為(歩行瞑想の場合)に頭を集中させ、雑念や妄想を取り払おうとするやり方。食事中も瞑想する。ご飯を食べるときも、意識せずに食べ物を箸で口に運ぶのではなく、「箸を持つ、ご飯をつかむ、口に運ぶ」とひとつひとつ心の中で唱える。これを続けることで悟りを開けるといわれる。

歩行瞑想中は、100人近い女性たちが歩き回っていたとしても、しーんと静まり返る。衣擦れの音、給水機の音だけが響く。ティンジャンのさなかクラブミュージックが四六時中、大音響で流れている街中に比べると、瞑想ホールは静かで涼しく、瞑想するにはピッタリの環境だ。

しかし油断は禁物。見回り役のお坊さんはいつも、私たち修行者を見ている。座禅中にウトウトしようものなら、すぐにやって来る。ウトウトする修行者の周りをウロウロするのだ。ときには袈裟を修行者の顔に当てたりして、夢の世界からやさしく連れ戻してくれる。

私は1日7時間の“自由時間”をフル活用し、瞑想に励んだ。ちなみに、同行した生徒たちを瞑想ホールで見かけたのは1日3~4時間。それも1日2回の説法の時間の前後の1時間ぐらい。

「だって7時間も瞑想なんかしたら疲れちゃうよ」と弁明するひとりの生徒。このゆるさと戒律の厳しさの絶妙なバランスが“ミャンマー流仏教”の特徴かもしれない。

■修行は「親孝行のため」

ミャンマーでは、私の知る限り9割ぐらいの男女が修行経験をもつ。そこで疑問がわいてくる。ミャンマー人は本当に来世を信じ、徳を積むために修行しているのか、ということだ。

出家(親族や友人との縁を断ち切って)、在家(俗人のままで)問わず修行を経験した10代後半から30代前半の若者およそ30人に、なぜ寺で修行するのかを聞いてみた。

驚いたのは、「悟りを開くため」「来世のため」と答えた人は皆無だったことだ。最も多かった(22人)のは、「親孝行のため」「平穏に過ごすため」だった。

ミャンマーでは、男性の仏教徒は10歳前後で一度出家するのが慣例になっている。出家修行を経験することで一人前として認められるからだ。女性も希望すれば出家できる。

ただ実際は、子どもが自分の意思で出家することは稀のようだ。親が子どもを出家させるケースがほとんど。親は子どもを出家させることで、実際に修行する子どもだけでなく、自分も徳を積めることになる。なので子どもは、出家を「親孝行」ととらえる。

大人になってから、今度は自分の意思でもう一度出家する人もいる。理由は「仏教と真剣に向き合いたいから」「家庭で不幸があったから」「結婚する前に節目として(恋人もいないけど)」とさまざま。人生はいろいろある。ミャンマー人にとって出家は、人生の次のステップへのスタート地点になるのかもしれない。

在家のままで修行することも可能だ。髪を剃る必要はない。いつでもだれでも気軽にできる。

私と一緒に在家修行した女子生徒3人はその理由に「親孝行のために」「就職がうまくいかないから願掛けに」「毎年の恒例行事」と答えた。これに加えて、「最近のクラブミュージックでうるさいティンジャンが好きじゃない。静かなところにいたい」という本音もあるようだ。

ミャンマー・カレン州のパアンから修行先の寺まで軽トラの荷台で揺られること1時間。まるで旅行気分だ。国民の9割以上が上座部仏教を信仰するミャンマー。この国の仏教徒の間では、人生のうち何度か寺で修行するのはふつうだ。なお、寺では男女別区域で別行動だ

ミャンマー・カレン州のパアンから修行先の寺まで軽トラの荷台で揺られること1時間。まるで旅行気分だ。国民の9割以上が上座部仏教を信仰するミャンマー。この国の仏教徒の間では、人生のうち何度か寺で修行するのはふつうだ。なお、寺では男女別区域で別行動だ