ナイジェリアの作家で人権・環境活動家のケン・サロ=ウィワ氏が、無実の罪で軍事政権に処刑されてから、2015年で20年になる。石油メジャー「シェル・ナイジェリア」を相手に繰り広げられた抗争は、損害賠償や環境調査、啓発運動、大統領選挙などに形を変えて、今なお広がりを見せている。
■サロ=ウィワ氏は非暴力で抗議
サロ=ウィワ氏は、ナイジェリア南東部のリバーズ州オゴニランド(ニジェール・デルタの産油地域)の出身で、シェル・ナイジェリアの操業による環境汚染と地元住民への人権侵害に対して、非暴力の抗議運動を続けてきた。
オゴニランドでは、1958年にシェル・ナイジェリアが原油採掘・石油生産を開始して以来、パイプラインからの原油流出や爆発事故が相次ぎ、自然環境が破壊され続けてきたためだ。
サロ=ウィワ氏は、1990年に非暴力の社会運動「オゴニ民族生存運動(MOSOP)」を組織。ニジェール・デルタ地域の先住少数民族オゴニ人の自治、原油採掘・石油生産による利益のオゴニ人への適正配分、自然環境の原状回復などを求め、シェル・ナイジェリアに加えて、シェブロンとナイジェリア国営石油会社に対し、攻勢を強めた。
■石油メジャーと軍事政権
MOSOPの活動を好ましく思わなかったシェル・ナイジェリアは、ナイジェリア政府に圧力をかけた。同社と蜜月関係にあったババンギダ軍事独裁政権は、サロ=ウィワ氏を幾度となく逮捕、投獄した。
「軍事独裁者たちはシェルがナイジェリアに支払う石油歳入にまったく依存している。だから、どんなに残酷なやり方を使ってでもシェルのために尽くそうとする」。サロ=ウィワ氏は著書「ナイジェリアの獄中から」(福島富士男訳)でこう記している。
1993年、MOSOPが主導し30万人が参加したオゴニランドでのデモを受け、シェル・ナイジェリアは同地での操業を停止。1995年、サニ・アバチャ独裁政権は、サロ=ウィワ氏とMOSOPのリーダーら8人を特別軍事法廷にかけ、殺人罪の濡れ衣を着せて、11月10日に全員を絞首刑にした。
■広がるサロ=ウィワ処刑の波紋
処刑執行の後、遺族らがロイヤル・ダッチ・シェルを訴えた。CNNによれば、2009年に1550万ドル(現在のレートで約18億6000万円)で和解が成立した。
2011年には、国連環境計画(UNEP)がオゴニランドの環境汚染を調査・分析し、報告書を作成した。報告書によれば、現在オゴニランドではどの石油会社も操業していないが、パイプラインからの原油漏れは今も続いており、人々の健康や農作物、漁業、水環境などを害しているという。
中でも深刻なのは、ある地域で飲み水として使われている井戸水から、世界保健機関(WHO)の基準値の900倍の発がん性物質ベンゼンが検出されたことで、UNEPは早急の対策が必要だと指摘している。
報告書はグッドラック・ジョナサン現大統領に提出されたが、ナイジェリア政府は何も対策を講じなかったため、2013年12月にはオゴニランドで大規模なデモが起きた。
■処刑20周年に高まる国際的関心
サロ=ウィワ氏の処刑20周年は、2015年2月に予定されているオゴニランド州知事選挙とナイジェリア大統領選挙とあいまって、国際社会の関心を一層高めている。
また、5月には英国ロンドンの法律事務所リーデイが、オゴニランド・ボド地区の住民を代表し、シェル・ナイジェリアに対して流出原油の除去と損害賠償を求めた民事訴訟の判決が下される予定になっており、さらに注目が集まるとみられている。
一方で、英国の市民団体「プラットフォーム」は2015年、アクション・サロ=ウィワというキャンペーンを実施する。シェル・ナイジェリアへの抗議プロジェクトの一環として同団体が2004年に制作した「バトル・バス」(写真)を、英国からナイジェリアに送り、「ナイジェリアの石油から利益を享受しているすべての国の人々の関心を高めたい」考えだ。プラットフォームのウェブサイトからは、このキャンペーンへの参加と寄付を呼びかけている。
「オゴニがその願いを叶えることが、ただたんにオゴニだけのことに留まらず、貴重な先例となってアフリカじゅうの少数民族や抑圧された民族に希望と勇気を与えると信じているからです」(「ナイジェリアの獄中から」)
サロ=ウィワ氏処刑20周年の節目にあたり、オゴニランド出身のジャーナリストで人権活動家のパトリック・ナーグバントン氏は「2015年は ナイジェリアの悲劇的なオイル・ストーリーにとって転機の年になるだろう」と話している。